日之影神楽・一の水神楽
一の水神楽(深角系)(一の水神社)
■ 日之影神楽
日之影神楽は、日之影町内の27地区に伝わる神楽の総称で、毎年11月末から2月にかけて、秋の収穫への感謝と翌年の五穀豊穣を祈願して、集落の土地神あるいは氏神を神社から神楽宿(神楽を奉納する場所:選ばれた民家や公民館など)にお迎えして奉納されている。
日之影神楽は、御神屋の設え、装束、採り物、仮面など、また「岩戸五番」を重んじる演目構成など、全てにおいて高千穂神楽の様式を踏まえており、神楽歌や太鼓のリズム、笛の旋律なども同一であることから、高千穂神楽と同系統のものであるとされている。しかし、内容的には地区による神庭の設定や御神体等の所作の違いや、各地区の氏神様が登場する演目の違いなど、地域独特の展開も見られ、厳密には「岩井川系(いわいがわ)」(大人、上小原、古園、大楠、小崎、追川、糸平、興地、星山、矢形の的)、「深角系(ふかすみ)」(深角、一の水、波瀬、宮水、松の内、奥、大菅、新畑)、「岩戸系」(椎谷、高巣野、平清水、戸の口、楠原、竹の原、中村、中川、上下顔、鹿川)、「四ヶ惣系(しかそ)」(阿下、舟の尾、新町、八戸上)の4系統に分類されている。
日之影神楽は、御神屋の設え、装束、採り物、仮面など、また「岩戸五番」を重んじる演目構成など、全てにおいて高千穂神楽の様式を踏まえており、神楽歌や太鼓のリズム、笛の旋律なども同一であることから、高千穂神楽と同系統のものであるとされている。しかし、内容的には地区による神庭の設定や御神体等の所作の違いや、各地区の氏神様が登場する演目の違いなど、地域独特の展開も見られ、厳密には「岩井川系(いわいがわ)」(大人、上小原、古園、大楠、小崎、追川、糸平、興地、星山、矢形の的)、「深角系(ふかすみ)」(深角、一の水、波瀬、宮水、松の内、奥、大菅、新畑)、「岩戸系」(椎谷、高巣野、平清水、戸の口、楠原、竹の原、中村、中川、上下顔、鹿川)、「四ヶ惣系(しかそ)」(阿下、舟の尾、新町、八戸上)の4系統に分類されている。
■ 一の水神楽
● 宮崎県日之影町
宮崎県日之影町は、宮崎県の最北山間部で高千穂町の隣に位置し、九州の百名山に名を連ねる傾山などの山々や、山間を流れる五ヶ瀬川と日之影川によって形成された深いV字型の渓谷など、町の総面積の9割が森林と緑に恵まれた自然豊かな町である。
また、日之影町の深角地区には、縄文土器の出土など縄文時代からの人の暮らしの証があり、団七踊りや深角神楽などの無形文化財のほか、400〜500年前の有形文化財が多数存在する。
また、日之影町の深角地区には、縄文土器の出土など縄文時代からの人の暮らしの証があり、団七踊りや深角神楽などの無形文化財のほか、400〜500年前の有形文化財が多数存在する。
● 一の水神社
鎮座地:宮崎県西臼杵郡日之影町七折11623-2、勧請年月日:不詳。高千穂郷88社のひとつ。古くは『四十九体(躰)妙見(現)社』の社名を持つ。現御祭神:水速女命・菅原道真公。旧称天満宮といい、明治四年現社名に改称した。昭和2年7月から本殿改築、祝詞殿、拝殿、玉垣、鳥居などの新築工事にかかり、翌3年3月完工した。
高千穂郷八十八社名録によると、「この地名の由来は、その昔、三毛入野命が鬼八退治の時、路傍の清水を掬って飲まれたところ、「珍」なり「一ノ水」と言われたことによる」と伝えられている。地名の由来となった遊水地には、慶應三卯年(1867年)八月二十六日建立の祠がある。
古来、この七折に鎮座の社「一の水神社」には、日之影町に坐す瀬織津比という神が唯一祀られていたという。瀬織津比盗_は、天照大神の荒魂とも称される女神で、伊勢神宮の荒祭宮に坐す瀬織津姫神である。
一方、『四十九体(躰)妙見(現)社』の社名については、宮崎県北では水神を妙見と呼ぶが、北斗信仰に端を発する妙見(水神)信仰の中に、七体妙見から発展したと考えられている四十九体妙見((あるいは妙現)というものがあり、また高千穂十社大明神・大宮司田尻物部系図には、「四十九体妙見即ち『瀬織津姫神』是也」とあることから、高千穂郷でも早い時期から妙見信仰が浸透し、妙見神として瀬織津姫神が信仰されていたことがわかる。
さらに、高千穂惣鎮守・十社大明神縁起巻・富高主馬頭(七折富高・右大臣家系図)記に、高千穂峡「玉垂の滝」の傍に、かつて「四十九体妙見社」または「瀬織津姫社」(「四十九体妙見社=瀬織津姫社」)といわれる御宮があり、祭神は瀬織津姫命なりと明記されている。(瀬織津姫は、禊ぎ祓いの女神であり、三途の川の脱衣婆ともいわれる。)
高千穂郷八十八社名録によると、「この地名の由来は、その昔、三毛入野命が鬼八退治の時、路傍の清水を掬って飲まれたところ、「珍」なり「一ノ水」と言われたことによる」と伝えられている。地名の由来となった遊水地には、慶應三卯年(1867年)八月二十六日建立の祠がある。
古来、この七折に鎮座の社「一の水神社」には、日之影町に坐す瀬織津比という神が唯一祀られていたという。瀬織津比盗_は、天照大神の荒魂とも称される女神で、伊勢神宮の荒祭宮に坐す瀬織津姫神である。
一方、『四十九体(躰)妙見(現)社』の社名については、宮崎県北では水神を妙見と呼ぶが、北斗信仰に端を発する妙見(水神)信仰の中に、七体妙見から発展したと考えられている四十九体妙見((あるいは妙現)というものがあり、また高千穂十社大明神・大宮司田尻物部系図には、「四十九体妙見即ち『瀬織津姫神』是也」とあることから、高千穂郷でも早い時期から妙見信仰が浸透し、妙見神として瀬織津姫神が信仰されていたことがわかる。
さらに、高千穂惣鎮守・十社大明神縁起巻・富高主馬頭(七折富高・右大臣家系図)記に、高千穂峡「玉垂の滝」の傍に、かつて「四十九体妙見社」または「瀬織津姫社」(「四十九体妙見社=瀬織津姫社」)といわれる御宮があり、祭神は瀬織津姫命なりと明記されている。(瀬織津姫は、禊ぎ祓いの女神であり、三途の川の脱衣婆ともいわれる。)
▼ 一の水神楽(一の水神社)
「一の水神楽」は「日之影神楽」として日之影町の27集落に伝わる4系統の神楽:「岩戸神楽」「四ヶ惣神楽」「深角神楽」「岩井川神楽」の内、「深角神楽」に属する神楽である。本来、神社での神楽は三番ぐらいで舞入れし、本格的な神楽は神楽宿で行われるが、最近は舞人の不足で、過ってのような三十三番の奉納はとても無理で、番数を少なくして奉納されているというのが現状のようである。
この神楽では、祭典の前に「不浄祓い」の神楽を舞うのが慣例であり、次いで「神颪」、そして「御幣」が舞われる。「御幣」の入鬼神は神楽宿に迎えた神様の舞であり、招かれた土地神の舞である。
この神楽では、祭典の前に「不浄祓い」の神楽を舞うのが慣例であり、次いで「神颪」、そして「御幣」が舞われる。「御幣」の入鬼神は神楽宿に迎えた神様の舞であり、招かれた土地神の舞である。
<中学恩師・今林和佐子先生写真提供>
「神楽殿」 一の水神社(日之影町)
「神殿」 一の水神社(日之影町)
「神楽殿」 一の水神社(日之影町)
「不浄祓い」 一の水神楽(日之影町)
「神颪」 一の水神楽(日之影町)
「袖花」 一の水神楽(日之影町)
「御幣」 一の水神楽(日之影町)
「御幣」入鬼神 一の水神楽(日之影町)
「御幣」入鬼神 一の水神楽(日之影町)