壱岐神楽 (国の重要無形民俗文化財)
壹岐神楽(長崎県壱岐市)
■ 壱岐神楽
壱岐神楽(いきかぐら)は、神社本庁に登録されている神社だけでも約150社が鎮座し、「神々が集う島」といわれる長崎・壱岐に伝わり、約700年の古い伝統と歴史をもつ神事芸能(神を祭るために舞い踊るもの)である。採物神楽(とりものかぐら)の一種であるが、他の地方の神楽団体等が奏する神楽とは異なり、壱岐の神社に奉職する神職にしか舞う事や音楽を演奏することが許されないというきわめて神聖色の強いものであり、壱岐島の各神社の祭礼の際に、神社の拝殿または神前の斎場に神楽座を特設して舞われているものである。
壹岐神楽の大きな特徴は、上記の如く、(1)神職のみが舞い、楽曲を奏でる「神職のみによる奉納神楽」すなわち社家神楽である、(2)2畳の狭いスペースで舞う、(3)神楽殿を設けず、拝殿などで神々と向き合って奉納する、また(4)演目(曲目)の内容は、幣、注連の呪具、鉾、剱、弓などの武具、塩、米、酒の供物を捧持して、その神聖性を唄い、神徳を讃えながら、神楽そのものが神への奉仕すなわち「神祭り」に即応できる形式や内容となっている、などの点である。
壹岐神楽は、約700年という長い年月、神事として、神職のみによって育まれて来た特異な伝統と歴史をもつだけに、神聖性が高く、また地域的特色も豊かで、独自性の高い神楽となっている。この地方独特の「神祭り」に近い神楽は、壹岐全島の社家により作り上げられて来たものであり、年間を通じて壱岐各地の神社で奉納され、地元において神聖視され、信仰されている貴重な文化財である。宮崎県の高千穂神楽と共に九州を代表する神楽として、1987年(昭和62年)1月8日、同じ旧平戸藩領に伝わり源流を同じくする平戸神楽と同時期(平戸は1月28日指定)に、国の重要無形民俗文化財に指定された。
壹岐神楽の演目は、一般には33番(33曲)といわれているが、その奉納の規模により、幣神楽・小神楽・大神楽・大大神楽の四つに分けられている。すなわち、壱岐には30曲以上の神楽歌が伝わっており、曲目の数によって、また奉奏する人数によって、4人で奉奏する幣神楽(6曲)、5〜6人で奉奏する小神楽(14曲)、7〜8人で奉奏する大神楽(25曲)、12人以上で奉奏する大大神楽(35曲)の四つに分けられている。
現在、最も多く奏せられているのは大神楽で、壱岐神楽の代表的なものとなっている。国指定平戸神楽、五島神楽とともに長崎県の代表的な神楽として高く評価されている。
今日、伝承されている演目には、太鼓始(たいこはじめ)、勧盃(かんぱい)、荒塩(あらしお)、神遊(かみあそび)、四本幣(しほんべい)、二本幣(にほんべい)、注連舞(しめまい)、真榊(まさかき)、野槌(のづち)、鉾(ほこまい)、八咫烏(やたがらす)、橘(たちばな)、篠(ささまい)、殿保賀比(とのほがい)、神酒保賀比(みきほがい)、四剱(しけん)、二剱(にけん)、四弓(しきゅう)、二弓(にきゅう)、五方(ごほう)、神代語(かみよがたり)、神相撲(かみすもう)、折敷(おしき)、湯立行事(ゆだちぎょうじ)、御湯舞(みゆのまい)、岩戸神楽として思兼(おもいかね)、太多女(ふとだめ)、於屋根(おやね)、手力男(たぢからお)、阿知女(あぢめ)、猿田彦(さるたひこ)、宇豆女(うずめ)、そして大大神楽の最終演目として八散供米(やちくま)などがある。また、番外として豊年舞(ほうねんまい)、漁舞(りょうまい)がある。
公演は、舞いのない笛と太鼓の音と神楽歌による太鼓始から始まるが、五穀豊穣を祈る野槌、お盆を両手に載せてでんぐり返りをする曲芸的な折敷、2人の神職が腕を組み背中合わせの状態からの連続の宙返りや相手を担ぎ上げる神相撲、三本の刀を両手と口に咥えて舞う「二剣」など、他の神楽では中々見られないアクロバティックな演目に人気があるという。とくに、神相撲舞や二剣舞などは、壱岐神楽と平戸神楽で類似した演目であり、兄弟神楽と呼ばれる所以である。
所要時間は神楽の種類によって異なるが、1時間〜8時間で、最も多く行なわれている大神楽の21曲程度で3時間以上かかり、壱岐神楽の中でも最も厳粛・丁重なものとされる大大神楽(磐戸神楽)では、35曲で6時間以上かかるという。大大神楽は8月と12月の年2回のみ奉納されるが、とくに「壱岐大大神楽」の奉納だけは、年に一度12月20日に住吉神社(長崎県壱岐市)で行われる。この大大神楽の日には、全島から42社の宮司や禰宜を中心に、さまざまな神社の神職が一同に会し、冬の日の昼から夜にかけ、仮面や剣を手に舞い、踊るという。演目(曲目)も35番(35曲)と多く、所要時間は7〜8時間。
神楽の起源は、南北朝(1336〜1392年)の頃だと言われているが、壱岐最古の社家とされる壱岐市芦辺町箱崎の八幡神社に伝わる古文書の中に、室町時代初期の永享7年(1435年)11月に「神楽舞人数の事」と題して25人の神楽人の名前を記したものが存在することから、壱岐島ではそれ以前に既に神楽が舞われていたと考えられている。
その後、文明4年(1472年)には、壱岐を領有した肥前岸岳城主・波多泰が、全島の社家に対し、毎年11月に、自らの館において御竈祭(みかまどまつり)の大神楽を奉仕することを恒例化させた。
さらに、戦国時代の末期、元亀年間(1570〜1573年)には、壱岐が平戸の松浦氏の領地となったため、壱岐の惣神主である吉野甚五左衛門末秋が壱岐の社家20余名を率いて平戸の松浦氏の居城に赴き、壹岐に伝わっていた御竈祭を奉仕して、神楽を舞ったといわれ、これを契機に、その後は、平戸地方の社家と共同してこの祭りで神楽を演じ、互いにその技を伝えあったとされている。こうした歴史的背景から、壱岐神楽と平戸神楽は互いに影響しあいながら展開して来ており、似た演目も多く、兄弟神楽と呼ばれる所以であるが、一方では、代々の壱岐の社家により、庶民の理解を旨とする神楽歌の改訂や、それに伴う演目や舞い方の改訂修補が逐次加えられ、それぞれ独自性の高い現行の神楽が出来ていったと伝えられている。壹岐神楽は、地域的特色が豊かで、長崎県内の神楽の一典型を示すものとして重要視されている。
壹岐神楽の大きな特徴は、上記の如く、(1)神職のみが舞い、楽曲を奏でる「神職のみによる奉納神楽」すなわち社家神楽である、(2)2畳の狭いスペースで舞う、(3)神楽殿を設けず、拝殿などで神々と向き合って奉納する、また(4)演目(曲目)の内容は、幣、注連の呪具、鉾、剱、弓などの武具、塩、米、酒の供物を捧持して、その神聖性を唄い、神徳を讃えながら、神楽そのものが神への奉仕すなわち「神祭り」に即応できる形式や内容となっている、などの点である。
壹岐神楽は、約700年という長い年月、神事として、神職のみによって育まれて来た特異な伝統と歴史をもつだけに、神聖性が高く、また地域的特色も豊かで、独自性の高い神楽となっている。この地方独特の「神祭り」に近い神楽は、壹岐全島の社家により作り上げられて来たものであり、年間を通じて壱岐各地の神社で奉納され、地元において神聖視され、信仰されている貴重な文化財である。宮崎県の高千穂神楽と共に九州を代表する神楽として、1987年(昭和62年)1月8日、同じ旧平戸藩領に伝わり源流を同じくする平戸神楽と同時期(平戸は1月28日指定)に、国の重要無形民俗文化財に指定された。
壹岐神楽の演目は、一般には33番(33曲)といわれているが、その奉納の規模により、幣神楽・小神楽・大神楽・大大神楽の四つに分けられている。すなわち、壱岐には30曲以上の神楽歌が伝わっており、曲目の数によって、また奉奏する人数によって、4人で奉奏する幣神楽(6曲)、5〜6人で奉奏する小神楽(14曲)、7〜8人で奉奏する大神楽(25曲)、12人以上で奉奏する大大神楽(35曲)の四つに分けられている。
現在、最も多く奏せられているのは大神楽で、壱岐神楽の代表的なものとなっている。国指定平戸神楽、五島神楽とともに長崎県の代表的な神楽として高く評価されている。
今日、伝承されている演目には、太鼓始(たいこはじめ)、勧盃(かんぱい)、荒塩(あらしお)、神遊(かみあそび)、四本幣(しほんべい)、二本幣(にほんべい)、注連舞(しめまい)、真榊(まさかき)、野槌(のづち)、鉾(ほこまい)、八咫烏(やたがらす)、橘(たちばな)、篠(ささまい)、殿保賀比(とのほがい)、神酒保賀比(みきほがい)、四剱(しけん)、二剱(にけん)、四弓(しきゅう)、二弓(にきゅう)、五方(ごほう)、神代語(かみよがたり)、神相撲(かみすもう)、折敷(おしき)、湯立行事(ゆだちぎょうじ)、御湯舞(みゆのまい)、岩戸神楽として思兼(おもいかね)、太多女(ふとだめ)、於屋根(おやね)、手力男(たぢからお)、阿知女(あぢめ)、猿田彦(さるたひこ)、宇豆女(うずめ)、そして大大神楽の最終演目として八散供米(やちくま)などがある。また、番外として豊年舞(ほうねんまい)、漁舞(りょうまい)がある。
公演は、舞いのない笛と太鼓の音と神楽歌による太鼓始から始まるが、五穀豊穣を祈る野槌、お盆を両手に載せてでんぐり返りをする曲芸的な折敷、2人の神職が腕を組み背中合わせの状態からの連続の宙返りや相手を担ぎ上げる神相撲、三本の刀を両手と口に咥えて舞う「二剣」など、他の神楽では中々見られないアクロバティックな演目に人気があるという。とくに、神相撲舞や二剣舞などは、壱岐神楽と平戸神楽で類似した演目であり、兄弟神楽と呼ばれる所以である。
所要時間は神楽の種類によって異なるが、1時間〜8時間で、最も多く行なわれている大神楽の21曲程度で3時間以上かかり、壱岐神楽の中でも最も厳粛・丁重なものとされる大大神楽(磐戸神楽)では、35曲で6時間以上かかるという。大大神楽は8月と12月の年2回のみ奉納されるが、とくに「壱岐大大神楽」の奉納だけは、年に一度12月20日に住吉神社(長崎県壱岐市)で行われる。この大大神楽の日には、全島から42社の宮司や禰宜を中心に、さまざまな神社の神職が一同に会し、冬の日の昼から夜にかけ、仮面や剣を手に舞い、踊るという。演目(曲目)も35番(35曲)と多く、所要時間は7〜8時間。
神楽の起源は、南北朝(1336〜1392年)の頃だと言われているが、壱岐最古の社家とされる壱岐市芦辺町箱崎の八幡神社に伝わる古文書の中に、室町時代初期の永享7年(1435年)11月に「神楽舞人数の事」と題して25人の神楽人の名前を記したものが存在することから、壱岐島ではそれ以前に既に神楽が舞われていたと考えられている。
その後、文明4年(1472年)には、壱岐を領有した肥前岸岳城主・波多泰が、全島の社家に対し、毎年11月に、自らの館において御竈祭(みかまどまつり)の大神楽を奉仕することを恒例化させた。
さらに、戦国時代の末期、元亀年間(1570〜1573年)には、壱岐が平戸の松浦氏の領地となったため、壱岐の惣神主である吉野甚五左衛門末秋が壱岐の社家20余名を率いて平戸の松浦氏の居城に赴き、壹岐に伝わっていた御竈祭を奉仕して、神楽を舞ったといわれ、これを契機に、その後は、平戸地方の社家と共同してこの祭りで神楽を演じ、互いにその技を伝えあったとされている。こうした歴史的背景から、壱岐神楽と平戸神楽は互いに影響しあいながら展開して来ており、似た演目も多く、兄弟神楽と呼ばれる所以であるが、一方では、代々の壱岐の社家により、庶民の理解を旨とする神楽歌の改訂や、それに伴う演目や舞い方の改訂修補が逐次加えられ、それぞれ独自性の高い現行の神楽が出来ていったと伝えられている。壹岐神楽は、地域的特色が豊かで、長崎県内の神楽の一典型を示すものとして重要視されている。
▼ 奉納の規模による分類
以下に、壹岐神楽の演目内容を示す。壱岐神楽には33(番外を含むと35)の演目があり、神職によって演じられる。
[幣神楽]
演奏曲目には、太鼓始、荒塩、神遊、四本幣、二本幣、注連舞がある。舞人2人、楽人2人で奉奏される。
[小神楽]
演奏曲目には、幣神楽に加えて、真榊、野槌、鉾舞、八咫烏、橘、篠、殿保賀比、神酒保賀比がある。舞人2人、楽人2人は最低限必要で、通常5〜6人で奉奏される。
[大神楽]
演奏曲目には、小神楽に加えて、四剱、二剣、四弓、二弓、五方、神代語、神相撲、折敷、猿田彦、宇豆女、八散供米がある。また、この他に番外曲目として、豊年舞、漁舞を加えて奏することもある。舞人4人、楽人2人は最低限必要で、通常8人で奉奏される。
[大大神楽](岩戸神楽ともいう)
壹岐神楽の中で最も厳粛・丁重な演目で、特殊な神事に奏される。演奏曲目には、大神楽に加えて、湯立行事、御湯舞、思兼、太多女、於屋根、手力男、阿知女がある。舞人、楽人合わせて12人以上で奉奏される。所要時間は7〜8時間。
演奏曲目には、太鼓始、荒塩、神遊、四本幣、二本幣、注連舞がある。舞人2人、楽人2人で奉奏される。
[小神楽]
演奏曲目には、幣神楽に加えて、真榊、野槌、鉾舞、八咫烏、橘、篠、殿保賀比、神酒保賀比がある。舞人2人、楽人2人は最低限必要で、通常5〜6人で奉奏される。
[大神楽]
演奏曲目には、小神楽に加えて、四剱、二剣、四弓、二弓、五方、神代語、神相撲、折敷、猿田彦、宇豆女、八散供米がある。また、この他に番外曲目として、豊年舞、漁舞を加えて奏することもある。舞人4人、楽人2人は最低限必要で、通常8人で奉奏される。
[大大神楽](岩戸神楽ともいう)
壹岐神楽の中で最も厳粛・丁重な演目で、特殊な神事に奏される。演奏曲目には、大神楽に加えて、湯立行事、御湯舞、思兼、太多女、於屋根、手力男、阿知女がある。舞人、楽人合わせて12人以上で奉奏される。所要時間は7〜8時間。
▼ 演目内容
1.太鼓始(たいこはじめ):皇国の弥栄を寿ぐ祭りの楽しさや神々の恵みを願う歌を唱え、その日の神楽の笛の音の調整を兼ねる。2.勧盃(かんぱい):お神酒を戴き、神様とその日の祭りを共に喜ぶ。3.荒塩(あらしお):神楽を奉奏する斎場、祭員を祓い清める神楽。4.神遊(かみあそび):音楽を奏で舞うことによって魂を呼び入れる舞。5.四本幣(しほんべい):採り物の御幣の垂手の音に神秘な神の声を聞こうとする舞。6.二本幣(にほんべい):御幣の起源を唱え、幣束の神聖さと神々の照覧と感応を祈る舞。7.注連舞(しめまい):注連の徳を讃え、清浄を保ち、諸々の災い・厄を祓う舞。8.真榊(まさかき):「神寄る木」榊を讃え、祭人の尽力と祭場の四季折々の趣の変化を讃える舞。9.野槌(のづち):山祇神と野槌神との問答神楽で、五穀の神に感謝し、五穀豊穣を祈る舞。10.鉾(ほこまい):鉾で四方を突き祓い、諸の災いを退散させ、また揺れ動いた魂「遊び」の鎮魂の神楽。11.八咫烏(やたがらす):神武天皇が東征の時、道案内として飛来した建角身命の功績を讃える神楽。12.橘(たちばな):橘の神聖とその徳を賛美し、更なる神徳を賛迎する神楽。13.篠(ささまい):篠の葉の音に神の言葉を聞く、鎮魂の舞。14.殿保賀比(とのほがい):宮殿の安泰を寿ぎ、長久を祈る神楽。15.神酒保賀比(みきほがい):酒の徳を讃え、礼代として御神酒を献じ、恩頼を蒙ろうとする舞。16.四剱(しけん):剱の霊威を讃え、四方を切り祓い、諸々の災禍を祓い退散させる神楽。17.二剱(にけん):剱の霊威を讃え、悪魔を切り祓い、諸々の災禍を祓い退散させる神楽。18.四弓(しきゅう):弓を神聖視し、その霊威を讃え、四方を射祓い、諸悪災禍を退散させる神楽。19.二弓(にきゅう):弓と剣の霊威により災いを祓う鎮魂の神楽。20.五方(ごほう):五方位を固め、五行神を祀り、国体の本儀を瞭かにせんとする神楽。21.神代語(かみよがたり):肇國の神話を語り、瑞穂の国を讃え、国体を護るべく詞を奏上する。22.神相撲(かみすもう):国技・相撲の技を神前に演じ、御照覧いただき、心身の強健息災を祈る神楽。23.折敷(おしき):曲芸を演じ、神の御照覧を祈る神楽。24.湯立行事(ゆだちぎょうじ):お湯の霊威による清め祓いの儀式。25.御湯舞(みゆのまい):清め祓うお湯の霊威を謝び奉る神楽。以下、26.思兼(おもいかね)、27.太多女(ふとだめ)、28.於屋根(おやね)、29.手力男(たぢからお)、30.阿知女(あぢめ)は磐戸開の様を表わした神楽(磐戸神楽)。31.猿田彦(さるたひこ):天孫降臨の際、天の八衢での神業を演じた猿田彦大神の御神徳を讃える神楽。32.宇豆女(うずめ):天孫降臨の際、天の八衢での神業を演じた天宇豆女神の御神徳を讃える神楽。33.八散供米(やちくま):剣の霊威により悪霊を切り祓い、「うちまき」により諸々の邪気を祓う神楽で、大大神楽納めの神楽。番外として、34.豊年舞(ほうねんまい):五穀豊穣や諸業の繁栄を感謝する舞。35.漁舞(りょうまい):海上安全、大漁満足、漁業の繁栄を祈る神楽。
上載写真:松崎君撮影あ
<中学恩師・今林和佐子先生写真提供>
以下の写真は、今林先生が「神楽展示会」で使われた写真。
四本幣
二本幣
真榊
野槌
八咫烏
四弓
二弓
神相撲
折敷
猿田彦
猿田彦
猿田彦&宇豆女
猿田彦
宇豆女
八散供米
八散供米
豊年舞
2005.8.6 撮影あ