出雲神楽 (国の重要無形民族文化財)
由布市・第一回全国神楽大会 出雲神楽「八岐大蛇」
■ 出雲神楽
神楽は我が国の代表的な神事芸能であるが、古事記、日本書紀の「神代」には、神楽の元となった出雲神話が多数挿入されている。神々の集う「神話の故郷」といわれる島根県では、各伝統芸能の中でも神楽がとくに多く、大きく分けて「出雲神楽」「隠岐神楽」「石見神楽」として伝承されている。
出雲神楽は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸に隠れたとき、石屋の前で踊りを披露して、天照大御神の興味を引き、岩戸より引き出した時の女神である天鈿女命・天宇受売命(アメノウズメノミコト)が舞った踊りをそのまま受け継いだとされる出雲地方(島根県東部)に伝わる伝統芸能である。古事記では天宇受売命、日本書紀では天鈿女命と表記される。
とくに、天岩戸神話と天宇受売命については、古事記に「天香山の天の日影(ひかげ)をたすきにかけ、天の真拆(まさき)をかずらにして、天香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結い、天石屋戸にうけ伏せて踏み轟かせ、神がかりして、胸乳(むなち)をかきいで、裳緒(もひも)をホトにおし垂れた」と記され、岩屋戸の前に逆さにして置いた桶を踏み鳴らし、神がかって、乳房をさらけ出し、服の紐を陰部まで下げて踊ると、高天原が動くほどに八百万の神たちがどっと笑ったというのである。
ちなみに、天岩戸の場面は、神降ろしの儀礼によって、巫女に神霊が宿ったことを伝える場面であり、天鈿女命・天宇受売命は、のちに宮中祭祀において、巫女にして神楽職をつかさどった猿女君(サルメノキミ)の祖(芸能の神)とする説あり。すなわち、この岩戸前での踊りは、ただのダンスではなく、いわゆるトランス状態を導き、神がかるための手段ではないか、つまり天鈿女命・天宇受売命は、神をその身に降ろす巫女ではないかと考える説である。日本書紀においては「巧みに俳優(わざおぎ)をなし」という記述が見られ、芸能一般の神様とされている。
また、古事記、日本書紀に登場するスサノヲ、オロチ、オオクニヌシ、イナタヒメなどは、すべて雲南市を流れる斐伊川にまつわる神話で、雲南市内には現在、17もの神楽社中があり、出雲神楽は地域の郷土芸能としても脈々と受け継がれている。
現在の出雲神楽は、1608年(慶長13年)、佐太神社の神主・宮川兵部少輔秀行氏が京都にて神能を習い、その能の構成・所作を手本として出雲神話を演じ始めたとされ、その後、大正15年の第2回全国郷土舞踊民謡大会で舞った神能が「佐陀神能」と命名され、現在では、「七座神事」(面を着けずに剣や榊を持って清めたり祓ったりして舞う)、「式三番」(翁、千歳、三番奴からなる)、「神能」(命、姫、鬼、大蛇などの面を着けて舞う神話劇)の三段構成を総称して「佐陀神能」と言われている。出雲神楽の舞は神事に沿うように緩やかに舞われるが、人気の高い演目は「八岐大蛇」「天の岩戸」などである。昭和51年5月に、国の重要無形民族文化財に指定されている。
出雲神楽は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸に隠れたとき、石屋の前で踊りを披露して、天照大御神の興味を引き、岩戸より引き出した時の女神である天鈿女命・天宇受売命(アメノウズメノミコト)が舞った踊りをそのまま受け継いだとされる出雲地方(島根県東部)に伝わる伝統芸能である。古事記では天宇受売命、日本書紀では天鈿女命と表記される。
とくに、天岩戸神話と天宇受売命については、古事記に「天香山の天の日影(ひかげ)をたすきにかけ、天の真拆(まさき)をかずらにして、天香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結い、天石屋戸にうけ伏せて踏み轟かせ、神がかりして、胸乳(むなち)をかきいで、裳緒(もひも)をホトにおし垂れた」と記され、岩屋戸の前に逆さにして置いた桶を踏み鳴らし、神がかって、乳房をさらけ出し、服の紐を陰部まで下げて踊ると、高天原が動くほどに八百万の神たちがどっと笑ったというのである。
ちなみに、天岩戸の場面は、神降ろしの儀礼によって、巫女に神霊が宿ったことを伝える場面であり、天鈿女命・天宇受売命は、のちに宮中祭祀において、巫女にして神楽職をつかさどった猿女君(サルメノキミ)の祖(芸能の神)とする説あり。すなわち、この岩戸前での踊りは、ただのダンスではなく、いわゆるトランス状態を導き、神がかるための手段ではないか、つまり天鈿女命・天宇受売命は、神をその身に降ろす巫女ではないかと考える説である。日本書紀においては「巧みに俳優(わざおぎ)をなし」という記述が見られ、芸能一般の神様とされている。
また、古事記、日本書紀に登場するスサノヲ、オロチ、オオクニヌシ、イナタヒメなどは、すべて雲南市を流れる斐伊川にまつわる神話で、雲南市内には現在、17もの神楽社中があり、出雲神楽は地域の郷土芸能としても脈々と受け継がれている。
現在の出雲神楽は、1608年(慶長13年)、佐太神社の神主・宮川兵部少輔秀行氏が京都にて神能を習い、その能の構成・所作を手本として出雲神話を演じ始めたとされ、その後、大正15年の第2回全国郷土舞踊民謡大会で舞った神能が「佐陀神能」と命名され、現在では、「七座神事」(面を着けずに剣や榊を持って清めたり祓ったりして舞う)、「式三番」(翁、千歳、三番奴からなる)、「神能」(命、姫、鬼、大蛇などの面を着けて舞う神話劇)の三段構成を総称して「佐陀神能」と言われている。出雲神楽の舞は神事に沿うように緩やかに舞われるが、人気の高い演目は「八岐大蛇」「天の岩戸」などである。昭和51年5月に、国の重要無形民族文化財に指定されている。
■ 第1回 全国神楽大会(大分・由布市)
2015年3月21日、大分県・由布市において、第一回全国神楽大会が開催され、出雲神楽「八岐の大蛇」が演じられた。古事記・日本書紀に記された出雲神話「スサノオの八岐の大蛇退治」を素材として出雲・石見や芸北で舞い続けられてきた一番の神楽である。しかも、この発祥が雲南市をはじめとした斐伊川流域といわれており、現在でも数多くの伝承地が残されている。
また、この伝承には、肥河(斐伊川)が流れ下る奥出雲では、古代たたら(日本独自の製鉄法)が盛んに行われており、たたら製鉄炉の燃え上がる炎の象徴がヤマタノオロチという説がある。また、肥の川(斐伊川)の赤い流れは、ヤマタノオロチの血で赤く染まったという説や砂鉄を採取する時の「かんな流し」により、鉄分を含んで赤く濁った水が大量に流れる様を表現したのではないかとする説などがある。また、奥出雲の製鉄集団をクサナギ族といい、草薙の剣はその象徴とする説もある。
また、この伝承には、肥河(斐伊川)が流れ下る奥出雲では、古代たたら(日本独自の製鉄法)が盛んに行われており、たたら製鉄炉の燃え上がる炎の象徴がヤマタノオロチという説がある。また、肥の川(斐伊川)の赤い流れは、ヤマタノオロチの血で赤く染まったという説や砂鉄を採取する時の「かんな流し」により、鉄分を含んで赤く濁った水が大量に流れる様を表現したのではないかとする説などがある。また、奥出雲の製鉄集団をクサナギ族といい、草薙の剣はその象徴とする説もある。
▼ 出雲神話「スサノオの八岐大蛇退治」& 出雲神楽「八岐大蛇」の粗筋
出雲神話「スサノオの八岐大蛇退治」に由来し、「たたら製鉄」のルーツにもつながる出雲神楽「八岐大蛇」の粗筋は、1.出雲国の肥河(ひのかわ)の上流に降臨したスサノオは、頭が八つ、尾が八つある八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という巨大な蛇の化け物が、村を荒らし、毎年、若い娘を生け贄として要求していることを知る。2.スサノオは、村で最後に残った娘:櫛名田比売(奇稲田姫・稲田姫)を妻にし、ヤマタノオロチを退治してやると約束する。3.スサノオノミコトの作戦は、大量の酒を満たした8つの酒槽(さかぶね)を用意し、ヤマタノオロチを酔いつぶして襲うというものであった。4.見事、酔いつぶれたヤマタノオロチを十拳剣・十束剣(とつかのつるぎ)で切り殺すことに成功。5.肥の川はヤマタノオロチの血で赤く染まり、切り裂いた尾からは「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」という三種の神器となる霊剣が出てくる。6.スサノオはその草薙剣をアマテラスオオミカミに献上する。
<中学同窓・松崎泰士君撮影>
2009.4.26 9.00〜撮影あ