旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

レトロ門司」復興への道

旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)

旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)(通称:旧門鉄ビル) 近代化産業遺産

■ 歴史
旧三井物産門司支店旧JR九州本社ビル)(通称:旧門鉄ビル)は、福岡県北九州市門司区西海岸1-6-2にある歴史的建造物(近代化産業遺産認定)である。国内の軍事色が濃くなりつつあった昭和12年(1937年)、日本初の総合商社・三井物産の三代目の門司支店として建設された。初代は明治34年(1901年)に建設された木造2階建、二代目は明治43年(1910年)に建設されたルネサンス様式を用いた煉瓦造りの2階建の建物でした。

この三代目の建物は、大正6年(1917年)に新築開業の旧大阪商船門司支店商船三井ビル)に続いて、昭和2年(1927年)にこの地域で最初のエレベーター付きアメリカ式オフィスビルとして完成した、斜め向かいにある旧日本郵船門司支店門司郵船ビル)に続く近代的な「アメリカ式高層オフィスビル」で、地下1階、地上6階建ての鉄筋コンクリート造(延床面積:5,634m²)。昭和初期の高層ビルとしては重量感があり、他の門司港レトロの歴史的建造物に比べると飾り気のない武骨な感じもするが、竣工当時は九州一高層ビルとして知られていたようである。戦前の四大財閥の中でも、三井グループの建物は頑丈でモダンかつ大規模な作品が多く、門司支店もまた然りであるが、三井物産の強力な企業力と、戦前の門司が如何に重要な貿易港として栄えていたかを窺わせるものである。

外観は、アメリカ摩天楼建築などに見られる縦軸を強調し、装飾を少なくしたデザインである。このデザインは、1920年代から30年代にかけて大流行した「直線ラインを強調する」アールデコの影響を色濃く感じさせるものである。しかし、建物の単調さを回避させるために、最上階の窓上を彫塑的表現で膨らみを持たせたり、柱形頂部をわずかに内向きに傾斜させたりして柔らかさを与えるなどの工夫も見られる。また、現在の外壁はモルタル吹き付けであるが、竣工当初は深緑色タイルが貼られ、窓の上下間や窓台には黒花崗岩が貼られていたという。

設計者松田軍平は、この建物と道路を挟んで移築された「旧門司三井倶楽部」を設計した松田昌平の弟である。地元の福岡県立福岡高等学校から名古屋高等工業学校に進学し、卒業後、清水組を経て、米国コーネル大学に留学。トローブリッジ&リビングストーン建築事務所で、東京日本橋に建てられる三井本館(昭和4年築)の基本設計に携わり、帰国後、同館の工事監理に従事している。その後、独立してコーネル大学の後輩・平田重雄らと共に、東京赤坂に建築事務所を開設し、三井関連の仕事のほか、ブリジストンタイヤの創業者・石橋家邸宅やオフィスなどを多く手掛けている。旧JR九州本社ビルの設計は、事務所初の高層建築の作品である。松田と平田、共にアメリカ仕込みの建築家が、港町・門司でアメリカ風のモダンなオフィスを建てたというのはとても興味深い。また、平成に入り、門司港レトロ事業によって、旧門司三井倶楽部が旧JR九州本社ビルの前に移築されることになり、松田軍平・松田昌平兄弟の作品が道路を挟んで対面するという貴重な景観が生まれた。

現在の外壁にはレンガや装飾などはないが、唯一の装飾的要素として、玄関部分には重厚な黒御影石で「門」の字(あるいは海の女神)を模ったアール・デコスタイルのレリーフを配置され、建物全体のインパクトを引き締める効果を生み出している。この作品は大阪出身の彫刻家・安喰たかのぶの作だというが、海運による物流事業を扱っていた三井物産を表現するに相応しい装飾である。

戦後、財閥解体によって、建物は、昭和28年(1953年)に日本国有鉄道(国鉄)へ売却された。JR発足までは、門司鉄道管理局国鉄九州総局など九州の鉄道の拠点として使用され、当ビルから九州全体の統括管理が行われた。昭和62年(1987年)4月、国鉄の分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)北九州本社(第一庁舎)と日本貨物鉄道(JR貨物)九州支社として使用が開始される。民営化の後もしばらくは九州管区内の各鉄道路線信号の管理が当ビルから行われていたが、平成13年(2001年)JR九州北九州本社が福岡市にある福岡本社と統合され、それと同時に同社の現業部門は当ビルから撤退する。信号通信司令部時代の設備は6階部分に残されており、産業技術史的に重要な遺産である。

平成14年(2002年)、JR九州が当ビル解体の方針を表明する。北九州市にとって、「門司港レトロ計画」を成功させるためには、門司港地区の歴史的建造物の復元や保存が必須である。平成17年(2005年)12月、JR九州と北九州市との間で市有地と等価交換する形で当ビルの譲渡が成立する。すなわち、「歴史的な価値があり、保存したい」とする北九州市が門司区内の市有地と換地交換して土地・建物を取得した。この時点より、旧JR九州ビル門司港レトロに仲間入りすることになり、平成22年(2010年)7月から、耐震補強と内部の改修工事が実施される。また、1 、2階部分にアートギャラリーや音楽ホールおよび門司港歴史資料室などの入居予定が発表される。平成23年(2011年)4月3日、「関門海峡らいぶ館」が開館する。平成23年(2011年)10月15日、1階部分にアンティーク雑貨なども販売するカフェUMINEKO(ウミネコ)が開業する。現在は、1階に、関門海峡の情報を知ることができる「関門海峡らいぶ館」や門司区の歴史を紹介した「思ひ出ステーション」、カフェなどがあり、一般向けに開放されている。

左に旧日本郵船ビル、右に旧三井物産ビル

旧日本郵船門司支店(左)に続く近代的なアメリカ式高層オフィスビル・旧三井物産ビル(右)

船溜まりから見たレトロ建物

第一船溜まりから見たレトロ建造物群
対岸中央に旧三井倶楽部、左後方に旧三井物産ビル(旧門鉄ビル)、右後方に旧日本郵船ビル

旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)

旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)

旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)

旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)

旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)(通称は旧門鉄ビル)

旧三井物産門司支店玄関

旧三井物産ビル(旧門鉄ビル、旧JR九州本社ビル)玄関部

旧三井物産門司支店玄関レリーフ

旧三井物産門司支店(旧門鉄ビル、旧JR九州本社ビル)黒御影石の玄関にレリーフ
■ 補修・保存への道
▼ 解体・消滅の危機
三井物産の建築による旧門司三井倶楽部(門鉄会館)および旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)(通称は旧門鉄ビル)は、門司港レトロ群を構成する重要な歴史的建造物である。旧門司三井倶楽部は、大正10年(1921年)、三井物産の社交クラブとして建てられた。また、旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)は、昭和12年(1937年)に旧三井物産の門司支店ビルとして建てられた。

戦後、三井物産が占領軍の財閥解体令で分割されたため、これらの建造物は清算財産になった。旧門司三井倶楽部は、昭和24年(1949年)、官営から公舎に移行した日本国有鉄道(国鉄)に買収され、「門鉄会館」と呼ばれる門司鉄道管理局の職員クラブとして使用されてきた。一方、旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)(通称は旧門鉄ビル)は、昭和28年(1953年)に国鉄へ売却され、JR発足までは、国鉄九州総局門司鉄道管理局など九州の鉄道の拠点として使用され、当ビルから九州全体の統括管理が行われてきた。

昭和62年(1987年)4月、国鉄の分割民営化に伴い、「門鉄会館」(旧門司三井倶楽部)は清算財産として国鉄精算事業団の手に移った。旧国鉄の資産をなるべく早く売却するのが事業団の仕事である。もはや、門鉄会館の命は風前の灯火だった。所有者である国鉄は、民営化に際し資産の処分を急いでおり、後継の国鉄精算事業団も同じく処分を急ぐ意向だった。国鉄は、保存を望む北九州市に対して、「門鉄会館の土地を売却することは、民営化の時点で国鉄本社が決めている。」「昭和60年10月に国鉄九州総局長公舎の解体工事を開始し、昭和60年12月には門鉄会館も解体の方針である」と知らせてきた。

また、旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)(通称は旧門鉄ビル)は、昭和62年(1987年)4月、国鉄の民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州北九州本社(第一庁舎)と日本貨物鉄道(JR貨物)九州支社として使用が開始される。民営化の後もしばらくは九州管区内の各鉄道路線信号の管理が当ビルから行われていたが、平成13年(2001年)JR九州北九州本社が福岡市にある福岡本社と統合され、それと同時に同社の現業部門は当ビルから撤退することになる。そして、平成14年(2002年)、JR九州は当ビル解体の方針を表明した。
▼ レトロ計画に救命されレトロ群へ仲間入り
上述のように、昭和の末期、旧門司三井倶楽部だけでなく、商船三井ビル旧門司税関など、門司港地区の歴史的建造物はどれもが所有者の都合で売却処分や取り壊しの危機に瀕していた。北九州市にとって、「門司港レトロ計画」を成功させるためには、門司港地区の歴史的建造物の復元や保存が必須であるが、当時の市は財政が苦しく、保存に乗り出すだけの有効な対応策も見出せず、窮地に陥っていた。そんな最中、天の啓示のように、竹下首相の「ふるさと創生」政策の一環として、自治省が「ふるさとづくり特別対策事業」(ふる特)を創設すると公表した。昭和62年12月、藁をもつかむ思いで申請し、そして昭和63年6月24日に採択が決まった。すなわち、自治省門司港レトロ事業を「ふる特」に採択したと発表してから半年後の昭和63年12月23日、市がまとめた「門司港レトロめぐり・海峡めぐり推進事業」の基本計画が、自治省の「ふる特」に正式に承認された。「門司港レトロの復興」すなわち「門鉄会館の移築を含む門司港レトロ計画」は、「ふるさとづくり特別対策事業」(ふる特)への採択によって実現可能となり、門司港地区の歴史的建造物の復元や保存が、門司港レトロ事業の中に包含することで可能になった。もし「ふる特」に採択されなかったならば、旧門司三井倶楽部(門鉄会館)ひいては旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)(通称は旧門鉄ビル)の保存はおろか、門司港レトロも開始できなかったかもしれない。

その後、「門鉄会館」は北九州市に無償譲渡され、昭和63年12月23日、自治省採択の「門司港レトロめぐり海峡めぐり推進事業」によって、この建築物を門司港駅前に移築保存活用することが可能となり、平成2年7月より解体工事平成3年3月より移築工事が開始された。その間、平成2年3月には、国の重要文化財に指定された。しかし、後述の如く、「国鉄九州総局長公舎」は、昭和60年10月に解体となる。平成6年(1994年)12月移築・復元・保存の完成平成19年(2007年)11月30日には、近代化産業遺産(北九州炭鉱 - 筑豊炭田からの石炭輸送・貿易関連遺産)に認定された。

また、旧三井物産門司支店(旧JR九州本社ビル)(通称は旧門鉄ビル)は、昭和62年(1987年)4月、国鉄の民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州北九州本社(第一庁舎)と日本貨物鉄道(JR貨物)九州支社として使用が開始される。そして、平成13年(2001年)JR九州北九州本社が福岡市にある福岡本社と統合されたのを契機に、平成14年(2002年)、JR九州が当ビルの解体の方針を表明する。

北九州市にとって、「門司港レトロ計画」を成功させるためには、門司港地区の歴史的建造物復元や保存が必須である。平成17年(2005年)12月、JR九州と北九州市との間で市有地と等価交換する形で当ビルの譲渡が成立する。すなわち、「歴史的な価値があり、保存したい」とする北九州市が門司区内の市有地と換地交換して土地・建物を取得した。この時点より、旧JR九州ビルは、門司港レトロ構成群の1つとして保存されることになり、平成22年(2010年)7月から、耐震補強と内部の改修工事が実施された。

第一船溜まりから見たレトロ群

第一船溜まりから見たレトロ建造物群
対岸前景中央左より旧三井倶楽部、旧大阪商船ビル、右端は旧門司港ホテル、
後景左より旧三井物産ビル、旧日本郵船ビル
▼ 館内施設
平成22年(2010年)7月から、耐震補強と内部の改修工事が実施され、1 、2階部分にアートギャラリー音楽ホールおよび門司港歴史資料室などが入居する。平成23年(2011年)4月3日、「関門海峡らいぶ館」が開館する。平成23年(2011年)10月15日、1階部分にアンティーク雑貨なども販売するカフェUMINEKO(ウミネコ)が開業する。

現在は、1階を観光案内所、関門海峡らいぶ館、2階をギャラリーとして活用。1階には、関門海峡の情報を発信する「関門海峡らいぶ館」や門司の地域の記録や書籍・写真など門司区の歴史を紹介する「思ひ出ステーション門司」、大正ロマンカフェ「ウミネコ」などがあり、一般向けに開放されている。
関門海峡らいぶ館」は、海難防止思想の普及を目的に、公益社団法人西部海難防止協会が運営する海事広報展示館である。すなわち、関門海峡の航路、船舶などをライブ映像で確認しながら海の安全を学ぶための施設である。関門海峡を中心に海や船舶交通に関する映像等の各種資料を展示するとともに、「らいぶ体験コーナー」として、関門海峡に設置したライブカメラを操作して海峡の地形や標識、船舶を見たり、船舶自動識別装置(AIS)システムなど操作して、リアルタイムに通航船舶の国籍や長さ、行き先などを知ったり、電子海図で海底の地形を想像したりできる体験型展示施設である。
思ひ出ステーション門司」は、1)かつての門司区内の県立高校に残る記念品や資料等の常設展示、2)門司の地域の記録・書籍をはじめ、過去及び現在の門司の写真などの収集・整理、3)門司に関心を持つ区内外の方々が、門司の郷土資料等を閲覧できるスペース、4)文字の地域研究、郷土資料館連、地域をテーマとした創作物などを展示するギャラリー・スペースとして利用されている。

※ 平成29年4月1日より旧JR九州本社ビル内にあった「門司港観光案内所」は、旧門司三井倶楽部内「門司港観光コンシェルジェ」に統合された。また、現在、「思ひ出ステーション」内には、「バナナ資料室」が関門海峡ミュージアムリニューアル工事の為、移転している。
<資料:中学同窓・稲佐重正君提供>
<写真:中学同窓・田中文君撮影>
参考資料:1.ルネッサンスの知恵 第3号 門司港レトロヘの道すじ 財団法人北九州都市協会(平成14年2月)、2.北九州市新・新中期計画 北九州市(昭和55年4月)、3.ポート門司 21 北九州市職員研修所(昭和57年)ほか

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