旧門司駅舎(門司港駅舎)(国の重要文化財)
旧門司駅舎(門司港駅舎)(駅舎として唯一の国の重要文化財)
■ 歴史
旧門司駅(現門司港駅)は,大正3年(1914年)に建造されたネオ・ルネサンス様式の木造駅舎。福岡県北九州市門司区西海岸一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅で、関門トンネルが開通するまでは九州の鉄道の玄関口であった。1988年、駅舎として全国初の国の重要文化財に指定された。従来、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテル監修下で、イタリアのテルミニ駅を参考にしたと言われて来たが、今回の国重要文化財指定における調査実績を纏めた『門司港駅−建設の経緯』の編集過程で、設計者は従来のドイツ人説ではなく、鉄道院九州鉄道管理局工務課だったことが明らかにされた。モデルはローマのテルミネ駅という俗説が誤りであることも、市教委文化課の調査でわかった。テルミネは、終着駅(ターミナル)という意味であり、門司港駅が線路と駅舎のT字型に交差する終着駅タイプであることから、連想誤伝されていたことがわかった。
旧門司駅(現門司港駅)は,九州鉄道の起点駅として明治24年(1981年)4月1日に開業したが、大正3年(1914年)に場所を200mほど移し、現在の場所に設置された。その後、昭和17年(1942年)、関門鉄道トンネルの開通に伴い,同年4月トンネル口にあたる大里駅が門司駅に改称され,これまでの門司駅は門司港駅となった。
旧門司駅舎(現門司港駅舎)は、「ネオ・ルネサンス様式」を採用した中央棟2階建て・東西棟1階建ての木造駅舎で、延べ面積は約2,700平方メートル。明治24年(1981年)4月1日に開業した駅舎は、大正3年(1914年)に場所を200mほど移し、現在の場所に建て替えられた。その後、大正7年(1918年)に駅舎正面の時計、昭和4年(1929年)に車寄せの大庇が設置された。
昭和17年(1942年)、関門鉄道トンネルの開通に伴い,同年4月これまでの門司駅は門司港駅となるが、昭和63年12月19日(文部省告示第127号)に重要文化財に指定されて以降、小規模な修理が施されたものの、門司地区の発展に伴い手狭となったことや、老朽化への対応や耐震補強が必要となったため、平成24年7月より国庫補助金事業として全面的に改築することとなった。
駅舎は、美しい左右対称の木造建築で、青銅製の手水鉢や水洗式トイレ、大理石とタイル張りの洗面所、御影石の男性用小便器など、当時としては非常に珍しい重厚かつモダンな作りである。現役の駅舎が重要文化財に指定されるのは非常に珍しく国内最高の駅舎と言われる。
2012年(平成24年)9月から駅舎の保存修理工事に着手。素屋根(工事中の駅舎を覆う仮設の大屋根)の設置と建物の分解・部材調査、構造体再組立て、構造補強工事などを経て、11月10日に先行開業(駅機能切替え)した後、2019年3月10日にグランドオープンを迎える。
以下、復元保存を実現させた行政側の努力に敬意を表しエピソードを交えて紹介する。
旧門司駅(現門司港駅)は,九州鉄道の起点駅として明治24年(1981年)4月1日に開業したが、大正3年(1914年)に場所を200mほど移し、現在の場所に設置された。その後、昭和17年(1942年)、関門鉄道トンネルの開通に伴い,同年4月トンネル口にあたる大里駅が門司駅に改称され,これまでの門司駅は門司港駅となった。
旧門司駅舎(現門司港駅舎)は、「ネオ・ルネサンス様式」を採用した中央棟2階建て・東西棟1階建ての木造駅舎で、延べ面積は約2,700平方メートル。明治24年(1981年)4月1日に開業した駅舎は、大正3年(1914年)に場所を200mほど移し、現在の場所に建て替えられた。その後、大正7年(1918年)に駅舎正面の時計、昭和4年(1929年)に車寄せの大庇が設置された。
昭和17年(1942年)、関門鉄道トンネルの開通に伴い,同年4月これまでの門司駅は門司港駅となるが、昭和63年12月19日(文部省告示第127号)に重要文化財に指定されて以降、小規模な修理が施されたものの、門司地区の発展に伴い手狭となったことや、老朽化への対応や耐震補強が必要となったため、平成24年7月より国庫補助金事業として全面的に改築することとなった。
駅舎は、美しい左右対称の木造建築で、青銅製の手水鉢や水洗式トイレ、大理石とタイル張りの洗面所、御影石の男性用小便器など、当時としては非常に珍しい重厚かつモダンな作りである。現役の駅舎が重要文化財に指定されるのは非常に珍しく国内最高の駅舎と言われる。
2012年(平成24年)9月から駅舎の保存修理工事に着手。素屋根(工事中の駅舎を覆う仮設の大屋根)の設置と建物の分解・部材調査、構造体再組立て、構造補強工事などを経て、11月10日に先行開業(駅機能切替え)した後、2019年3月10日にグランドオープンを迎える。
以下、復元保存を実現させた行政側の努力に敬意を表しエピソードを交えて紹介する。
門司港駅(旧門司駅)本屋 大改修前 2010年8月
大改修直前(2012年9月) 2012年7月より国庫補助金事業として全面的な改修工事開始
旧門司駅舎(現門司港駅舎) 大改修完成 グランドオープン前夜祭
門司港駅舎 大改修完成(2019年3月10日)
門司港駅前広場・キャンドルライト点灯(2019年3月23日)
■ 復元・保存への道
▼ 駅舎修復保存の口火:安川邸園遊会での谷伍平元市長の呟き
旧門司駅舎(現門司港駅舎)修復保存の口火を切ったのは、谷伍平元市長の呟きである。昭和58年(1983年)4月、戸畑区の安川邸で開かれた園遊会の席で、谷市長は木村照彦山城屋百貨店社長に「老朽化がひどい門司港駅を市で面倒みてくれないかと言われている。しかし、国の建物に市が手を出すわけにはいかない。地域による保存会みたいなものはできないだろうか」と声をかけた。突然の話に木村社長は対応に窮したが、地元の経済人に打診する。しかし、即急に対応できる空気ではなかった。
同年(1983年)7月、吉田敬一国鉄九州総局長から、「国鉄は修復の予算をつけ、駅舎保存を決めた。地元はどうされますか」と連絡が入った。木村社長は、正井義夫西華産業副社長と相談し、門司港駅保存会の設立総会を12月23日に開催した。直ちに募金活動を開始したところ、マスコミに報じられたこともあり、昭和59年(1984年)4月末までに1530万円と目標の3倍額が集まった。
同年(1983年)7月、吉田敬一国鉄九州総局長から、「国鉄は修復の予算をつけ、駅舎保存を決めた。地元はどうされますか」と連絡が入った。木村社長は、正井義夫西華産業副社長と相談し、門司港駅保存会の設立総会を12月23日に開催した。直ちに募金活動を開始したところ、マスコミに報じられたこともあり、昭和59年(1984年)4月末までに1530万円と目標の3倍額が集まった。
▼ 駅舎の修復工事
駅舎の修復工事は、昭和59年(1984年)1月から始まった。昭和46年(1971年)の屋根の修理では、予算不足で銅板の代替として鉄板が使われており、その鉄板から赤錆が流れ出て、哀れな様相を呈していた。天然物スレートも傷みが酷かった。鉄板は全てはずして新しい銅板に取り替えた。他の銅板も、傷みが酷い部分は全て取り替えた。天然スレートは高価で入手難だったためコロニアルで葺き替えた。
4月に屋根の修復が終わると、外壁の汚れが目立つようになり、さらに工事予算を追加して外壁を改装した。市の方でも、夜間照明工事に着手し、翌昭和60(1985年)年5月4日から駅舎が8基の照明で夜空にライトアップされた。昭和60年頃は未だ、国における大正建築の保存はおろか、明治建築の保存すらその対象ではなく、ましてや国の重要文化財指定の対象など有り得ないというのが、一般的な受け止め方であり、当然ながら門司港駅の国重文指定など想定外であった。
4月に屋根の修復が終わると、外壁の汚れが目立つようになり、さらに工事予算を追加して外壁を改装した。市の方でも、夜間照明工事に着手し、翌昭和60(1985年)年5月4日から駅舎が8基の照明で夜空にライトアップされた。昭和60年頃は未だ、国における大正建築の保存はおろか、明治建築の保存すらその対象ではなく、ましてや国の重要文化財指定の対象など有り得ないというのが、一般的な受け止め方であり、当然ながら門司港駅の国重文指定など想定外であった。
▼ 想定外の朗報! 国の重要文化財指定の候補に
門鉄会館(旧門司三井倶楽部)の門司港駅前移築を含む門司港レトロ基本計画は、他の建造物の項でも記述しているように、昭和63年(1988年)も押し詰まった12月26日、公表されたが、その1週間前の12月19日、旧門司駅(門司港駅)が国の重要文化財に指定された。鉄道駅舎では初の国指定重文である。これからレトロ事業を開始しようという時期に、幸先いい朗報だった。
指定に至る経過には、瓢箪から駒の感がなきにしもあらずだが、市教委職員が文化庁係官とふだんから保っていた人間関係にあった。昭和63年(1988年)6月, 鹿児島市で開催された九州各県指定都市文化行政主管課長会議に出席していた安藤敏彦北九州市教委文化財係長から,「宮澤智士文化庁主任調査官(のち文化財保護部建造物課長)が、帰路、門司に立ち寄る」という連絡が入った。
従来、鉄道関係の保存や文化財指定は、国鉄自身の鉄道記念物制度の範疇で、文化庁は鉄道関係については対象外にしていた。しかし、国鉄民営化でJRが発足したのを機に、鉄道関係も国の重要文化財に指定する方針を立て、その最初の候補に東京駅を挙げているので、参考のため門司港駅を見ておきたいというのが来門の理由であった。
門司の近代建築のあれこれを見てもらう千載一遇のチャンスとばかり、文化課の柿西清課長と柏木實職員(現北九州市文化財保護審議会会長)は、宮澤主任調査官を門司港駅に迎え、門司港駅を詳細に見てもらった。柏木職員が、同行してきた中矢真人福岡県教育委員会文化財保護係長との会話の中で、「門司港駅を県の文化財に取り上げてくれませんか」ともちかけたところ、横にいた宮澤主任調査官が、「県がその気になってJRも同意するようなら、国指定を考えてもいいよ」と、想定外の有難い評価が返ってきた。鉄道建造物で国の重要文化財に指定されたものはない。指定されるとすれば、辰野金吾設計の東京駅が一番というのが衆目の一致するところで、門司港駅は県の文化財ぐらいにはと考えていた矢先、いきなり国の重要文化財への提案である。願ってもない朗報で、「JR九州にとっても異存はない。翌年の1989年は九州の鉄道開業百周年にあたり、記念行事を予定しているから、復元を心がけて改築する。」との好回答だった。
指定に至る経過には、瓢箪から駒の感がなきにしもあらずだが、市教委職員が文化庁係官とふだんから保っていた人間関係にあった。昭和63年(1988年)6月, 鹿児島市で開催された九州各県指定都市文化行政主管課長会議に出席していた安藤敏彦北九州市教委文化財係長から,「宮澤智士文化庁主任調査官(のち文化財保護部建造物課長)が、帰路、門司に立ち寄る」という連絡が入った。
従来、鉄道関係の保存や文化財指定は、国鉄自身の鉄道記念物制度の範疇で、文化庁は鉄道関係については対象外にしていた。しかし、国鉄民営化でJRが発足したのを機に、鉄道関係も国の重要文化財に指定する方針を立て、その最初の候補に東京駅を挙げているので、参考のため門司港駅を見ておきたいというのが来門の理由であった。
門司の近代建築のあれこれを見てもらう千載一遇のチャンスとばかり、文化課の柿西清課長と柏木實職員(現北九州市文化財保護審議会会長)は、宮澤主任調査官を門司港駅に迎え、門司港駅を詳細に見てもらった。柏木職員が、同行してきた中矢真人福岡県教育委員会文化財保護係長との会話の中で、「門司港駅を県の文化財に取り上げてくれませんか」ともちかけたところ、横にいた宮澤主任調査官が、「県がその気になってJRも同意するようなら、国指定を考えてもいいよ」と、想定外の有難い評価が返ってきた。鉄道建造物で国の重要文化財に指定されたものはない。指定されるとすれば、辰野金吾設計の東京駅が一番というのが衆目の一致するところで、門司港駅は県の文化財ぐらいにはと考えていた矢先、いきなり国の重要文化財への提案である。願ってもない朗報で、「JR九州にとっても異存はない。翌年の1989年は九州の鉄道開業百周年にあたり、記念行事を予定しているから、復元を心がけて改築する。」との好回答だった。
▼ 駅舎で唯一の国重要文化財指定
7月から8月にかけて、宮澤主任調査官はじめ、文化財調査官らによる納得いくまでの詳細な視察・調査が続いた。10月には、JR九州も文化庁に指定申請書を出した。門司港駅に関する資料として、市教委が用意した「門司新報」と「福岡日日」のコピーを申請書に添付した。
こうして、昭和63年(1988年)12月、門司港駅は鉄道駅舎としては全国第1号の国の重要文化財に指定された。東京駅はというと、文化庁の意向とは裏腹に大改造したため重文指定は見送られた。その後も国の重要文化財に指定された駅舎は未だないことから、門司港駅が駅舎としては唯一の国指定重要文化財ということになる。
現地協議において、文化庁は、門司港駅を次のように評価していたという。
―― この建物は、九州の玄関口になった駅舎であり、歴史的記念物である。建築当初の姿を内外ともによく残し、外観や屋根の扱い、天井が高い各部屋などに時代の特徴がよく表現されており、保存状況もよい。本屋とともに周囲の庇、別棟の便所などもセットとして存在していることも貴重である。この駅舎は、地域のシンボルとなる建物として景観上も貴重な位置を占め、市民の間でもすでに長い年月にわたって親しまれている。さらに現在駅舎として機能している点でも価値が高い。一―
門司港駅の重文指定に大きな影響力があった宮澤主任調査官の意向もあり、調査の実績をもとに、柏木氏の編集による『門司港駅−建設の経緯』と題する本が、翌平成元年(1989年)4月、2000部出版された。宮澤氏は喜び、柏木氏も面目を施したという。また、この本の出版で大きな収穫があった。編集過程で、設計者は従来のドイツ人説ではなく、鉄道院九州鉄道管理局工務課だったことが明らかにされた。モデルはローマのテルミネ駅という俗説が誤りであることも、市教委文化課の調査でわかった。テルミネは、終着駅(ターミナル)という意味であり、門司港駅が線路と駅舎のT字型に交差する終着駅タイプであることから、連想誤伝されていたことがわかった。
こうして、昭和63年(1988年)12月、門司港駅は鉄道駅舎としては全国第1号の国の重要文化財に指定された。東京駅はというと、文化庁の意向とは裏腹に大改造したため重文指定は見送られた。その後も国の重要文化財に指定された駅舎は未だないことから、門司港駅が駅舎としては唯一の国指定重要文化財ということになる。
現地協議において、文化庁は、門司港駅を次のように評価していたという。
―― この建物は、九州の玄関口になった駅舎であり、歴史的記念物である。建築当初の姿を内外ともによく残し、外観や屋根の扱い、天井が高い各部屋などに時代の特徴がよく表現されており、保存状況もよい。本屋とともに周囲の庇、別棟の便所などもセットとして存在していることも貴重である。この駅舎は、地域のシンボルとなる建物として景観上も貴重な位置を占め、市民の間でもすでに長い年月にわたって親しまれている。さらに現在駅舎として機能している点でも価値が高い。一―
門司港駅の重文指定に大きな影響力があった宮澤主任調査官の意向もあり、調査の実績をもとに、柏木氏の編集による『門司港駅−建設の経緯』と題する本が、翌平成元年(1989年)4月、2000部出版された。宮澤氏は喜び、柏木氏も面目を施したという。また、この本の出版で大きな収穫があった。編集過程で、設計者は従来のドイツ人説ではなく、鉄道院九州鉄道管理局工務課だったことが明らかにされた。モデルはローマのテルミネ駅という俗説が誤りであることも、市教委文化課の調査でわかった。テルミネは、終着駅(ターミナル)という意味であり、門司港駅が線路と駅舎のT字型に交差する終着駅タイプであることから、連想誤伝されていたことがわかった。
▼ 国重要文化財指定後の全面的な保存修理工事
重要文化財に指定された昭和63年(1988年)12月19日(文部省告示第127号)以降は、小規模な修理を加えながら使用されてきたが,建物正面(ファサード)の破損が著しく危険と判断され,平成18年(2006年)に軸部が部分的に鉄骨で補強された。しかし、この頃より門司地区の発展に伴い手狭となったことや、老朽化への対応や耐震補強の必要性など、建物の根本的な修理が必要となったため,平成24年(2012年)7月より、国庫補助金事業として全面的な駅舎保存修理工事が開始された。
今回の工事に先立ち、門司港駅の外観・内部機能など、形態の変遷について事前調査が行われた。その過程では、宮内庁の幸啓録(大正5年)から発見された竣工当初の設計図や竣工時のイベントで配布された門司港駅の間取り図・仕様書などが、建設当時の状況を推察させる貴重な資料となった。
平成25年(2013年)12月には,学識経験者・地元関係者・鉄道関係者等により構成された「重要文化財 門司港駅保存修理検討委員会」が発足し,事前調査により得た知見をもとに、保存修理方針が議論された。今回の工事では、大正3年(1914年)竣工当初の形態に復元することや,現役駅舎としての安全性を担保するための耐震補強などが決められた。
今回の工事では、大正3年(1914年)竣工当初の門司港駅が復元されるが、外壁には石貼り風のモルタルが塗られ,屋根には天然の石盤が葺かれる。また,後の時代に失われた屋根まわりの飾りも復元する。大正7年に取り付けられた大時計及び後世に設置された正面向かって右側の庇と倉庫は,その文化的価値や歴史保存の観点から今回の工事では残すことになるという。
保存修理工事の概要は、1.素屋根(工事中の駅舎を覆う仮設の大屋根)の設置。2.建物の分解:今回の工事では,状態の良い骨組み部材以外は全て解体している。3.解体と並行して、建物の細かい部分の寸法や破損の様子についての詳細な部材調査:今回の解体では,駅舎南側から太平洋戦争時に受けたと思われる39発の機銃痕と2発の爆弾痕が発見されたという。4.解体した材料の傷み具合の確認と最大限の再使用を原則に部分補修(繕い)工事。5.構造体(木部)の再組立と構造補強:今回の工事では,現役駅舎としての安全性を担保するため、耐震補強を行なっている。すなわち、耐震診断を実施し,鉄骨フレームの設置や荷重集中部位への鋼製部材による補強を行っているという。6.外装・内装・建具等の組み立て。7.素屋根の解体。
今回の工事に先立ち、門司港駅の外観・内部機能など、形態の変遷について事前調査が行われた。その過程では、宮内庁の幸啓録(大正5年)から発見された竣工当初の設計図や竣工時のイベントで配布された門司港駅の間取り図・仕様書などが、建設当時の状況を推察させる貴重な資料となった。
平成25年(2013年)12月には,学識経験者・地元関係者・鉄道関係者等により構成された「重要文化財 門司港駅保存修理検討委員会」が発足し,事前調査により得た知見をもとに、保存修理方針が議論された。今回の工事では、大正3年(1914年)竣工当初の形態に復元することや,現役駅舎としての安全性を担保するための耐震補強などが決められた。
今回の工事では、大正3年(1914年)竣工当初の門司港駅が復元されるが、外壁には石貼り風のモルタルが塗られ,屋根には天然の石盤が葺かれる。また,後の時代に失われた屋根まわりの飾りも復元する。大正7年に取り付けられた大時計及び後世に設置された正面向かって右側の庇と倉庫は,その文化的価値や歴史保存の観点から今回の工事では残すことになるという。
保存修理工事の概要は、1.素屋根(工事中の駅舎を覆う仮設の大屋根)の設置。2.建物の分解:今回の工事では,状態の良い骨組み部材以外は全て解体している。3.解体と並行して、建物の細かい部分の寸法や破損の様子についての詳細な部材調査:今回の解体では,駅舎南側から太平洋戦争時に受けたと思われる39発の機銃痕と2発の爆弾痕が発見されたという。4.解体した材料の傷み具合の確認と最大限の再使用を原則に部分補修(繕い)工事。5.構造体(木部)の再組立と構造補強:今回の工事では,現役駅舎としての安全性を担保するため、耐震補強を行なっている。すなわち、耐震診断を実施し,鉄骨フレームの設置や荷重集中部位への鋼製部材による補強を行っているという。6.外装・内装・建具等の組み立て。7.素屋根の解体。
▼ 創建時の華麗な姿で2019年3月10日グランドオープン!
上述の如く、平成24年(2012年)9月から駅舎の保存修理工事に着手。素屋根の設置と建物の分解・部材調査、構造体再組立て、構造補強工事などを経て、11月10日に先行開業(駅機能切替え)した後、平成30年(2019年)3月10日にグランドオープンを迎える。
駅舎保存修理工事は、創建時(大正3年、1914年)の華麗な姿に復元することを基本方針として約6年の年月を要したが、駅舎は正面にあった大庇を撤去し、中央棟のジャイアントオーダー(ファサード装飾における2階分の高さをもったオーダー)が象徴的だった創建当時の姿をほぼ再現。ペンキ塗りだった外壁は石張り風のモルタル塗とし、銅やスレートの屋根は天然石盤葺きとしたほか、創建当時に存在していた屋根飾りも復元した。柱などの塗装も、残っていた部材から当時の塗装を調査し、可能な限り復元したという。創建当時、設置されていなかった駅舎正面の大時計については、長年にわたり駅舎のシンボルとして親しまれ、九州初の電気時計という歴史的価値もあることから残すことになり、工事に合わせて新調された。
1階のコンコースと「みどりの窓口」も、それぞれ創建当時の内装を復元している。旧一・二等待合室だった「みどりの窓口」では、建設当時のデザインが再現され、当時の暖炉も設置されている。当初から設置されていたという黒漆喰の飾り壁は、痕跡を一部残しながら復元されている。コンコースでは、旧出札室窓口に自動券売機が設置されている。コンコースの大空間を実現するため、創建当初から鉄骨が使用されているが、鉄骨には八幡製鐵所のロールマークが記されていたとのことで、今回の復元工事でも、天井内部に鉄骨を残している。また、1階の旧三等待合室も、建設当時の内観を復元し、構造補強を兼ねたエレベーターが新設された。駅の2階には、洋食レストラン(大正・昭和時代再興の「みかど食堂 」by NARISAWA予定)、1階にはカフェ(「スターバックスコーヒー」予定)も入居する。駅前広場も3月に同時オープンする。
駅舎保存修理工事は、創建時(大正3年、1914年)の華麗な姿に復元することを基本方針として約6年の年月を要したが、駅舎は正面にあった大庇を撤去し、中央棟のジャイアントオーダー(ファサード装飾における2階分の高さをもったオーダー)が象徴的だった創建当時の姿をほぼ再現。ペンキ塗りだった外壁は石張り風のモルタル塗とし、銅やスレートの屋根は天然石盤葺きとしたほか、創建当時に存在していた屋根飾りも復元した。柱などの塗装も、残っていた部材から当時の塗装を調査し、可能な限り復元したという。創建当時、設置されていなかった駅舎正面の大時計については、長年にわたり駅舎のシンボルとして親しまれ、九州初の電気時計という歴史的価値もあることから残すことになり、工事に合わせて新調された。
1階のコンコースと「みどりの窓口」も、それぞれ創建当時の内装を復元している。旧一・二等待合室だった「みどりの窓口」では、建設当時のデザインが再現され、当時の暖炉も設置されている。当初から設置されていたという黒漆喰の飾り壁は、痕跡を一部残しながら復元されている。コンコースでは、旧出札室窓口に自動券売機が設置されている。コンコースの大空間を実現するため、創建当初から鉄骨が使用されているが、鉄骨には八幡製鐵所のロールマークが記されていたとのことで、今回の復元工事でも、天井内部に鉄骨を残している。また、1階の旧三等待合室も、建設当時の内観を復元し、構造補強を兼ねたエレベーターが新設された。駅の2階には、洋食レストラン(大正・昭和時代再興の「みかど食堂 」by NARISAWA予定)、1階にはカフェ(「スターバックスコーヒー」予定)も入居する。駅前広場も3月に同時オープンする。
<資料:中学同窓・稲佐重正君提供>
<写真:中学同窓・田中文君撮影>
<写真:中学同窓・田中文君撮影>
参考資料:1.ルネッサンスの知恵 第3号 門司港レトロヘの道すじ 財団法人北九州都市協会(平成14年2月)、2.北九州市新・新中期計画 北九州市(昭和55年4月)、3.ポート門司 21 北九州市職員研修所(昭和57年)あ