千年以上続く修験道の祭り「等覚寺の松会」
修験道の拠点・等覚寺一帯に伝わる祭祀「松会」(白山多賀神社)
■ 修験道の拠点・等覚寺と白山多賀神社
白山多賀神社は、福岡県京都郡苅田町の山あい:普智山の中腹(標高約300m)にあり、明治維新後に発生した廃仏毀釈(仏教破壊運動)、神仏分離令、修験道廃止までは、山伏たちの修験の霊山として、英彦山などと共に豊前六峰に数えられる修験道拠点のひとつ等覚寺一帯の中心であった。
神社の歴史は古く、伊邪那岐命、伊邪那美命、豊玉姫命を祭神とする由緒ある神社である。天歴8年(954年)以来、1000年以上も続いている伝統ある修験道の祭祀「等覚寺の松会」(とかくじのまつえ)(国指定重要無形文化財)を毎年4月の第3日曜日に行い、地域の五穀豊穣・疫病退散・国家安泰を祈願している。また、同地区は緑豊かな自然に囲まれ、農林水産省の全国農村景観百景にも選ばれている。
神社の歴史は古く、伊邪那岐命、伊邪那美命、豊玉姫命を祭神とする由緒ある神社である。天歴8年(954年)以来、1000年以上も続いている伝統ある修験道の祭祀「等覚寺の松会」(とかくじのまつえ)(国指定重要無形文化財)を毎年4月の第3日曜日に行い、地域の五穀豊穣・疫病退散・国家安泰を祈願している。また、同地区は緑豊かな自然に囲まれ、農林水産省の全国農村景観百景にも選ばれている。
■ 修験道の祭り「等覚寺の松会」(国の重要無形民俗文化財)
白山多賀神社の神域には、明治維新後に発生した廃仏毀釈(仏教破壊運動)、そして神仏分離令、修験道廃止までは、豊前六峰のひとつと呼ばれる修験道の拠点・等覚寺があり、修験道の祭事の中で頂点をなしていたのが一山あげての祭礼行事・「松会」であった。名称「等覚寺の松会」はその名残である。五穀豊穣・疫病退散・国家安泰を祈願する行事で、天歴8年(954年)以来、1000年以上も続いている伝統ある祭祀である。現在、松会」は豊前周辺では英彦山、求菩提山、松尾山、桧原山に田行事を中心とした行事として残っているが、松会のハイライトである松柱での「幣切り行事」が行われるのは、等覚寺のみである。
施主が大幣(神事の修祓に使う麻や紙の束)を神社に奉納し、神輿洗いをした後、神輿を拝殿から境内の松庭(所作が行われる会場)まで移動(神輿行列)し、「松会」の行事に入る。行事の選択や順序は年によって変化するが、獅子舞、流鏑馬、鬼会、田行事そして刀行事の最後に、山伏姿の施主が大幣と真剣を持って10mの松柱の頂上に登り、柱の頂上に立ち、祈祷文(祝詞)を読み、御幣で天地四方を祓い清めた後、頂上で大幣の幣串を真剣で切り落とす「幣切り」(全国で唯一)などの行事を行い、五穀豊穣、国家安泰を祈願する。幣串の切口でその年の秋の豊凶を占うという。
この修験道の祭り「等覚寺の松会」は、1998年、国の重要無形民俗文化財に指定されており、毎年4月の第3日曜日に、白山多賀神社(等覚寺)で行われている。年によって行事の選択や順序は変化するが、「松会」の行事概要は以下の様である。
1)神輿行列(神輿が拝殿から松庭まで移動)、2)玉串奉納(来賓や招待者の玉串奉納)、3)流鏑馬(流鏑馬を行う)(現在は中止)、4)獅子舞(二匹の獅子舞が舞う)、5)鬼会(七匹の鬼が演じる)、6)種子蒔き(施主が松庭を田に見立てて種を蒔く)、7)田打ち(子供たちが松庭を田に見立てて耕す)、8)はらみ女(妊婦に扮した人が滑稽な仕草をする)、9)案山子(おとんぼしが滑稽な仕草をする)、10)田植え(子供たちが田植え歌に合わせて苗を植える)、11)楽打ち(子供たちが楽打ち(ビシャシャラ)を行う)、12)鉞舞い(二人の山伏が鉞(マサカリ)をもって舞う)、13)薙刀舞い(四人の山伏が薙刀をもって舞う)、14)幣切り(施主が松庭に据えてある松柱を登り幣を切る)
全国唯一の神事とされる「幣切り」のほか、観客の間に獅子舞や面をかぶった男たちが分け入り、笑いを誘う獅子舞や鬼会、麓の白装束の山伏姿やもんぺ姿の児童(町立白川小)を中心とした田打ちや田植えなどの田行事、山伏の白装束を着た男たちによる鉞の舞、薙刀の舞などの刀行事が人気であるという。また、神輿が拝殿から松会の会場・松庭まで移動する御輿行列では、拝殿に掲げられていた「刀衆盛一(除剣等を司る{陽神})と「色衆盛一」(田行事を司る{陰神})の2枚の大札も一緒に移動する。
施主が大幣(神事の修祓に使う麻や紙の束)を神社に奉納し、神輿洗いをした後、神輿を拝殿から境内の松庭(所作が行われる会場)まで移動(神輿行列)し、「松会」の行事に入る。行事の選択や順序は年によって変化するが、獅子舞、流鏑馬、鬼会、田行事そして刀行事の最後に、山伏姿の施主が大幣と真剣を持って10mの松柱の頂上に登り、柱の頂上に立ち、祈祷文(祝詞)を読み、御幣で天地四方を祓い清めた後、頂上で大幣の幣串を真剣で切り落とす「幣切り」(全国で唯一)などの行事を行い、五穀豊穣、国家安泰を祈願する。幣串の切口でその年の秋の豊凶を占うという。
この修験道の祭り「等覚寺の松会」は、1998年、国の重要無形民俗文化財に指定されており、毎年4月の第3日曜日に、白山多賀神社(等覚寺)で行われている。年によって行事の選択や順序は変化するが、「松会」の行事概要は以下の様である。
1)神輿行列(神輿が拝殿から松庭まで移動)、2)玉串奉納(来賓や招待者の玉串奉納)、3)流鏑馬(流鏑馬を行う)(現在は中止)、4)獅子舞(二匹の獅子舞が舞う)、5)鬼会(七匹の鬼が演じる)、6)種子蒔き(施主が松庭を田に見立てて種を蒔く)、7)田打ち(子供たちが松庭を田に見立てて耕す)、8)はらみ女(妊婦に扮した人が滑稽な仕草をする)、9)案山子(おとんぼしが滑稽な仕草をする)、10)田植え(子供たちが田植え歌に合わせて苗を植える)、11)楽打ち(子供たちが楽打ち(ビシャシャラ)を行う)、12)鉞舞い(二人の山伏が鉞(マサカリ)をもって舞う)、13)薙刀舞い(四人の山伏が薙刀をもって舞う)、14)幣切り(施主が松庭に据えてある松柱を登り幣を切る)
全国唯一の神事とされる「幣切り」のほか、観客の間に獅子舞や面をかぶった男たちが分け入り、笑いを誘う獅子舞や鬼会、麓の白装束の山伏姿やもんぺ姿の児童(町立白川小)を中心とした田打ちや田植えなどの田行事、山伏の白装束を着た男たちによる鉞の舞、薙刀の舞などの刀行事が人気であるという。また、神輿が拝殿から松会の会場・松庭まで移動する御輿行列では、拝殿に掲げられていた「刀衆盛一(除剣等を司る{陽神})と「色衆盛一」(田行事を司る{陰神})の2枚の大札も一緒に移動する。
<中学同窓・松崎泰士君撮影>
神輿行列:神輿が拝殿から松庭まで移動 拝殿の 「刀衆盛一掾vと「色衆盛一掾vの大札も一緒に移動
神輿行列:山伏の白装束を着た男衆と白装束姿やもんぺ姿の児童(町立白川小)
行列の構成は、主役の施主に従い、まさかり舞、なぎなた舞などの刀行事の色衆(胎蔵会)と刀衆(金剛会)、そして田打ち・田植えなどの田行事や楽打ちの踊り子(小学生)などからなる。
獅子舞:二匹の獅子舞が観客の間に分け入り、笑いを誘う 獅子舞に触ると縁起がいいという
鬼会:鬼の面をかぶった男たちが観客の間に分け入り、笑いを誘う
幣切り:山伏姿の施主が大幣と真剣を持って10mの松柱の頂上に登り、柱の頂上に立ち、祈祷文(祝詞)を読み、御幣で天地四方を祓い清めた後、頂上で大幣の幣串を真剣で切り落とす「幣切り」(全国で唯一)という行事を行い、五穀豊穣、国家安泰を祈願する。幣串の切口でその年の秋の豊凶を占うという。
2012.4.15 12.50〜撮影あ