人とウイルスの「排除なき共生」は可能であろうか? 第2波と言えぬ訳は?|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

人とウイルスの「排除なき共生」は可能であろうか?

I wonder if it would be possible to realize "Coexistence without exclusion"
between humans and viruses

これでも第2波と言わないのか?  2020年9月13日

Isn’t this still called the second wave ?
■ 人とウイルスの「排除なき共生」は可能であろうか
自然界における生態系は食物連鎖の上に成り立っている。弱肉強食の世界である。ウイルスは食物連鎖の頂点にある人間あるいは下位の動物を宿主とし、その遺伝子RNAに寄生する。しかるに、昨今では「ウイッズコロナ」なるキャッチフレーズで、「人とウイルスの共生」がリーダーの口から叫ばれている。果たして、このキャッチフレーズは如何なる意味で使われているのであろうか。

おそらく、感染初期の誤った対応によりウイルスを国全土に蔓延させてしまい、取り返しのつかない事態を招いたことを認め、ウイルスを絶滅させることが困難であることに気づき、ウイルスと永遠に「付き合っていかざるを得ない」現実を受け入れ、「ウイルスと共存する」しか生きる術はないことを悟り、逃げ場のない「諦め」の上に立った苦し紛れの叫びか、あるいは表現であろうと推測する。

元々、ウイルスを排除・根絶できれば、「ウイルスとの共生」を考える必要もないのであるが、「共生」という言葉には、1)生物学的な意味での共生「symbiosis」:(生物と生物の間とくに異なる生物種間での共生)、2)単に一緒に生きることを意味する共生「cohabitation」、「living with」、3)社会学的な意味での共生「living in harmony with」(多文化共生、環境との共生)などの意味がある。とくに、その中には人間が意識的に軋轢・虐待・戦争などを避けた平和な状態を意味する共生「coexistence」や動物・植物・微生物が無意識に行う自然現象を意味する共生「symbiosis」がある。ちなみに、その共生には2つの語源があるといわれ、1つは1922年頃に仏教の言葉から「共生(ともいき)」を導出したとする説、2つ目は英語のSymbiosisを明治の植物学者が1888年に共生と翻訳したとする説がある。

もし、社会学的な意味で使われているのであれば、社会経済、環境、多文化との共生を指していることになるが、この意味だけでは致死的ウイルスの生態系における影響を考えれば余りにも短絡的で、人命を軽視した愚策となる。逆に、生物学的な意味で使われているのであれば、以下のように、免疫を持つ人とウイルスとの「排除なき共生」が可能か否かの問題となる。

すなわち、ウイルスは、属種により宿主中の潜伏期間を異にするが、宿主から宿主へ一定期間(とくにRNAに)寄生しながら渡り歩く。そして、感染を広げるウイルス保有者スーパースプレッダー)や集団から次の集団への感染連鎖を引き起こす感染者集団クラスター)となって感染拡大を繰り返しながら生存する。これを「人とウイルスの共生」というのであろうか。そうであれば、ウイルスは野放しの遣りたい放題で、宿主にとって余りにも乱暴な共生である。
一方、宿主には自身を防御する「免疫システム」が存在し、「自他を認識し、他を排す」機能を有している。しかるに、致死的ウイルスは外的因子であり、当然ながら排除の対象となる。果たして、この宿主とウイルスとの間で「排除なき共生」が成立するのであろうか。

もし、「排除なき共生」が成立するとすれば、免疫システムの調整が可能で、ウイルスを利他的にコントロールできる場合であろう。すなわち、宿主とウイルスが互いに利他的に許容できる関係で、双方の命が共存できる場合であろう。例えば、宿主側に立てば、生涯にわたってRNA寄生ウイルスの発芽抑制弱毒化を可能にする「耐性」(例えば、RNAサイレンシングの如き防御機構)を獲得できる場合である。言い換えれば、一例として、ウイルスに対する宿主のRNA サイレンシング防御機構とこれに対するウイルスのRNAサイレンシング抑制機構(RNAサイレンシングサプレッサー能の獲得など)および感染機構との関係の如く、RNAサイレンシングを舞台にしたウイルスと宿主との攻防(分子ネットワーク)がバランスされている状態などが含まれるであろう。また一歩譲れば、適宜の排除となるが、変幻自在のウイルスの発生に合わせて、その都度モグラたたきの如く、ワクチン特効薬一時的に弱毒化(あるいは無毒化)して人命を保護できる場合であろう。

しかし、ウイルスの侵襲力が宿主の免疫力(排除力)より勝り(あるいは、ウイルスと宿主との攻防バランスが崩れ、RNA サイレンシング例の如く、宿主のRNA サイレンシング防御機構よりウイルスのRNAサイレンシング抑制機構や感染機構が勝り)、命に係わるような場合には、宿主側の生活様式を変え(生活の変容)、徹底的にウイルスとの接触を避けるか、あるいはウイルスを消毒・除去によって生態系から徹底的に排除・絶滅させざるを得ない。すなわち、双方の間で「排除の力」が働き、「勝ち負け」(生死)を決せざるを得ないのが自然界の生態系における理である。
■ これでも第2波と言わないのか?
直近の爆発的な感染拡大を、何故「第2波」と言いたくないのか不思議であるが、感染拡大に限らず一般論で言えば、特異的な上昇の後、一度下がった数値が再び特異的に上昇することを第2波(second wave)と言う。そして、第2波の特異性あるいは有意性は、限定された範囲における上昇の高さ、上昇に至る経過速度、上昇の原因や理由、上昇による影響などの要素で決まる。

然るに、日本では第1波の後、全国緊急事態宣言解除や全国移動制限解除、さらにはGo-Toトラベルキャンペーンによって、感染者数が急激に増大し、現時点では第1波の5倍 (積分比) もの大きな波となっている。感染拡大が重症化や死亡に先行すること、すなわち医療体制の切迫や崩壊、高齢者への感染や死者の増加に先行することを考えれば、今回の爆発的感染拡大は、当然ながら、国民にとっては極めてリスクの高い状況(厳重警戒レベル)であり、明らかに「第2波」の到来と判断すべきである。

新型コロナウイルスの変幻・進化速度が速いことから、第1波、第2波の定義は、ウイルスの性質変化で定義した方が良いとする説もあるが、いずれにしても物理構造的(あるいは計数統計学的)に前波の感染拡大よりも5倍(積分比)もの大きな波が到来しているのは誤魔化すことのできない事実であり、政治的な思惑で定義・表現が左右されるべきものではない。逆に、これだけの事実が揃っても「第2波」と言えない背景が不信を深める因果となっている。
■ 日本における感染者数の推移  2020.3.15〜9.13

日本における感染者数の推移

■ 日本における死亡者数の推移  2020.3.15〜9.13

日本における死亡者数の推移

■ 東京における感染者数の推移  2020.3.15〜9.13

東京における感染者数の推移

■ 東京における死亡者数の推移  2020.3.15〜9.13

東京における死亡者数の推移

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