出光美術館
出光美術館(門司)
■ 歴史と復興
▼ レトロ群の1つとして、大正期の倉庫を改装し開館
出光美術館(門司)は、北九州市門司区東港町2-3にあり、平成12年(2000年)4月、出光コレクションを展示する美術館として門司港レトロ地区に開館。出光興産創業の地である北九州市の要請を受け、門司港レトロ群の1つとして、大正期に建てられた出光の倉庫跡を改装し、福岡分館(福岡出光美術館)を移転する形で開館した。ちなみに、福岡分館は出光のガソリンスタンドの真上のフロアにあったため、消防法に基づき国宝や重要文化財が展示できない状態だった。福岡分館は福岡支店の移転により取り壊され、現在はシティホテルになっている。また、大阪市の出光興産に設けられていた大阪分館は平成15年(2003年)3月23日に閉館された。
現在、出光美術館は、東京都千代田区丸の内と福岡県北九州市門司区の門司港レトロ地区にあり、昭和41年(1966年)に開館し、帝国劇場や出光興産本社が入居する帝劇ビルの9階にある東京の「出光美術館」は公益財団法人出光美術館が運営し、門司の「出光美術館」は公益財団法人出光佐三記念美術館が運営している。
現在、出光美術館は、東京都千代田区丸の内と福岡県北九州市門司区の門司港レトロ地区にあり、昭和41年(1966年)に開館し、帝国劇場や出光興産本社が入居する帝劇ビルの9階にある東京の「出光美術館」は公益財団法人出光美術館が運営し、門司の「出光美術館」は公益財団法人出光佐三記念美術館が運営している。
▼ 全面改装でリニューアルオープン
開館当初は大正期の倉庫の雰囲気をそのままに残していたが、平成17年(2005年)に部分改修を行った。そして、平成27年(2015年)3月29日に一時閉館し、耐震化や展示スペース拡張などの全面改装を実施。鉄筋コンクリート造3階建てとなって平成28年(2016年)10月28日にリニューアルオープンした。コンクリートとレンガの組み合わせによる外観は、モダンながらも郷愁に満ちた様相で、レトロ地区の周囲のものとよく調和している。休館中は、一部展示品と特別展を北九州市旧大阪商船2階に移設し、仮営業を行っていた。
設計:岡田新一設計事務所、施工:鹿島建設株式会社、敷地面積2,435.00m2、建築面積1,098.21m2(美術館:882.61m2、出光創業史料室:215.60m2)、延床面積2,604.93m2(美術館:2,186.78m2、出光創業史料室:418.15m2)、展示面積560.17m2(展示室1:402.47 m2、展示室2:157.70m2)、構造鉄筋コンクリート造、階数地上3階、最高高さ17.75m
設計:岡田新一設計事務所、施工:鹿島建設株式会社、敷地面積2,435.00m2、建築面積1,098.21m2(美術館:882.61m2、出光創業史料室:215.60m2)、延床面積2,604.93m2(美術館:2,186.78m2、出光創業史料室:418.15m2)、展示面積560.17m2(展示室1:402.47 m2、展示室2:157.70m2)、構造鉄筋コンクリート造、階数地上3階、最高高さ17.75m
■ 施設内容
▼ 展示内容
創業者の出光佐三氏が集めた陶磁器や絵画などの美術品約4万点のコレクションから、日本の書画、中国・日本の陶磁器など東洋古美術を中心に厳選された美術品を展示しており、テーマに沿った内容で、年に数回の展覧会を開催している。
出光佐三の美術品収集は、19歳の時、郷里福岡の古美術品売り立て会場で江戸時代の禅僧・仙豪`梵の書画「指月布袋画賛」(しげつほていがさん)との出会いに始まり(購入当時は普門円通禅師という高名な禅僧だと知らなかったという)、以後、約千点にも及ぶ仙涯作品を収集するが、その収集は没年まで70年以上にわたって続けられ、没年の1981年に入手した最後の収集品も、19歳で最初に入手したのと同じ仙高フ作品『双鶴画賛』であったという。この絵には「鶴は千年、亀は万年、我は天年」という賛が書き込まれており、当時95歳の出光はこの作品を最後まで座右に置いていたという。
館蔵品には、国宝として伴大納言絵詞(伴大納言絵巻) 紙本著色 3巻、古筆手鑑の代表例・手鑑「見ぬ世の友」など、重要文化財として破墨山水図 画・雪舟 賛・景徐周麟などの他、仏教絵画では、十王図 絹本著色 2幅、真言八祖行状図 絹本著色 8幅(奈良・内山永久寺旧障子絵と推定)。大和絵では、柿本人麿像&僧正遍照像 紙本著色(佐竹本三十六歌仙切)、絵因果経 巻第三上 紙本著色、直幹申文絵詞 紙本著色、扇面法華経冊子残欠 著色絵料紙墨書、四季花木図 紙本著色 六曲屏風、日月四季花鳥図 紙本著色 六曲屏風。水墨画では、花鳥図 能阿弥筆 応仁三年三月七十三歳の款記がある 紙本墨画 四曲屏風。文人画では、梅花書屋図 田能村竹田筆 天保三年の年記がある 紙本著色、双峰挿雲図 浦上玉堂筆 紙本墨画、籠煙惹滋図 浦上玉堂筆 紙本墨画、十二月離合山水図 池大雅筆 紙本淡彩 六曲屏風、山水図 与謝蕪村筆 宝暦十三年四月の年記がある 紙本淡彩 六曲屏風。近世絵画諸派では、江戸名所風俗図 紙本金地著色 八曲屏風一双、祇園祭礼図 紙本金地著色 六曲屏風、西行法師行状絵詞(毛利家本)巻第一 第二 第四 紙本著色 絵俵屋宗達筆 詞烏丸光広、野々宮図 岩佐勝以筆 紙本墨画淡彩、戸山山荘図(紙本淡彩)・青山園荘図(紙本墨画)谷文晁筆 2帖、更衣美人図 喜多川歌麿筆 絹本著色、四季日待図 英一蝶筆 紙本著色。渡来画では、平沙落雁図 伝牧谿筆「道有」の印あり 紙本墨画、漁釣図 徐祚筆 絹本著色、山市晴嵐図 玉澗筆 自賛 紙本墨画。日本陶磁では、金銀藍絵松樹文蓋物 尾形乾山作、色絵花鳥文八角大壺 伊万里、色絵鳳凰文壺 仁清作、色絵罌粟文(けしもん)茶壺 仁清作、絵唐津柿文三耳壺、絵唐津芦文壺、赤楽兎文香合 本阿弥光悦作。中国陶磁では、青磁袴腰香炉、青磁下蕪花生。その他の工芸では、金銅蓮唐草文透彫経箱、柏木菟蒔絵料紙箱及春日野蒔絵硯箱 小川破笠作、太刀 銘国村、楼閣人物螺鈿食籠(中国・元)。古筆・典籍類では、古今和歌集巻第一断簡(高野切)(寛平の)、継色紙(むめのかの)、中務集、定頼集 藤原定家筆、伏見天皇宸翰御歌集(五十六首)、禅院額字 選仏場、理趣経種子曼荼羅 保安3年(1122年)勝覚奥書、倭漢朗詠抄 巻下、古文孝経(金沢文庫本)。書状類では、虎関師錬筆消息(六月十八日 檀渓心涼宛)、後光厳院宸翰御消息(七月廿九日)、後小松天皇宸翰御消息(七月廿五日)、光厳院宸翰御消息(十一月五日)、陽光院御筆消息(七十三通)3巻、藤原定家筆消息(九月十日)、明恵上人筆消息。墨蹟では、大燈国師墨蹟 偈語(夏日)、大燈国師墨蹟 偈語(興作)。考古資料では、壺形土器(弥生時代)千葉県富津市金谷字御代袋出土、などがある。(『国宝・重要文化財大全 別巻』)
最近では、出光美術館では館蔵品の展示のほか、「アンドレ・マルローと永遠の日本」展、「宗像・沖ノ島」展などの特別展を積極的に開催している。
出光佐三の美術品収集は、19歳の時、郷里福岡の古美術品売り立て会場で江戸時代の禅僧・仙豪`梵の書画「指月布袋画賛」(しげつほていがさん)との出会いに始まり(購入当時は普門円通禅師という高名な禅僧だと知らなかったという)、以後、約千点にも及ぶ仙涯作品を収集するが、その収集は没年まで70年以上にわたって続けられ、没年の1981年に入手した最後の収集品も、19歳で最初に入手したのと同じ仙高フ作品『双鶴画賛』であったという。この絵には「鶴は千年、亀は万年、我は天年」という賛が書き込まれており、当時95歳の出光はこの作品を最後まで座右に置いていたという。
館蔵品には、国宝として伴大納言絵詞(伴大納言絵巻) 紙本著色 3巻、古筆手鑑の代表例・手鑑「見ぬ世の友」など、重要文化財として破墨山水図 画・雪舟 賛・景徐周麟などの他、仏教絵画では、十王図 絹本著色 2幅、真言八祖行状図 絹本著色 8幅(奈良・内山永久寺旧障子絵と推定)。大和絵では、柿本人麿像&僧正遍照像 紙本著色(佐竹本三十六歌仙切)、絵因果経 巻第三上 紙本著色、直幹申文絵詞 紙本著色、扇面法華経冊子残欠 著色絵料紙墨書、四季花木図 紙本著色 六曲屏風、日月四季花鳥図 紙本著色 六曲屏風。水墨画では、花鳥図 能阿弥筆 応仁三年三月七十三歳の款記がある 紙本墨画 四曲屏風。文人画では、梅花書屋図 田能村竹田筆 天保三年の年記がある 紙本著色、双峰挿雲図 浦上玉堂筆 紙本墨画、籠煙惹滋図 浦上玉堂筆 紙本墨画、十二月離合山水図 池大雅筆 紙本淡彩 六曲屏風、山水図 与謝蕪村筆 宝暦十三年四月の年記がある 紙本淡彩 六曲屏風。近世絵画諸派では、江戸名所風俗図 紙本金地著色 八曲屏風一双、祇園祭礼図 紙本金地著色 六曲屏風、西行法師行状絵詞(毛利家本)巻第一 第二 第四 紙本著色 絵俵屋宗達筆 詞烏丸光広、野々宮図 岩佐勝以筆 紙本墨画淡彩、戸山山荘図(紙本淡彩)・青山園荘図(紙本墨画)谷文晁筆 2帖、更衣美人図 喜多川歌麿筆 絹本著色、四季日待図 英一蝶筆 紙本著色。渡来画では、平沙落雁図 伝牧谿筆「道有」の印あり 紙本墨画、漁釣図 徐祚筆 絹本著色、山市晴嵐図 玉澗筆 自賛 紙本墨画。日本陶磁では、金銀藍絵松樹文蓋物 尾形乾山作、色絵花鳥文八角大壺 伊万里、色絵鳳凰文壺 仁清作、色絵罌粟文(けしもん)茶壺 仁清作、絵唐津柿文三耳壺、絵唐津芦文壺、赤楽兎文香合 本阿弥光悦作。中国陶磁では、青磁袴腰香炉、青磁下蕪花生。その他の工芸では、金銅蓮唐草文透彫経箱、柏木菟蒔絵料紙箱及春日野蒔絵硯箱 小川破笠作、太刀 銘国村、楼閣人物螺鈿食籠(中国・元)。古筆・典籍類では、古今和歌集巻第一断簡(高野切)(寛平の)、継色紙(むめのかの)、中務集、定頼集 藤原定家筆、伏見天皇宸翰御歌集(五十六首)、禅院額字 選仏場、理趣経種子曼荼羅 保安3年(1122年)勝覚奥書、倭漢朗詠抄 巻下、古文孝経(金沢文庫本)。書状類では、虎関師錬筆消息(六月十八日 檀渓心涼宛)、後光厳院宸翰御消息(七月廿九日)、後小松天皇宸翰御消息(七月廿五日)、光厳院宸翰御消息(十一月五日)、陽光院御筆消息(七十三通)3巻、藤原定家筆消息(九月十日)、明恵上人筆消息。墨蹟では、大燈国師墨蹟 偈語(夏日)、大燈国師墨蹟 偈語(興作)。考古資料では、壺形土器(弥生時代)千葉県富津市金谷字御代袋出土、などがある。(『国宝・重要文化財大全 別巻』)
最近では、出光美術館では館蔵品の展示のほか、「アンドレ・マルローと永遠の日本」展、「宗像・沖ノ島」展などの特別展を積極的に開催している。
▼ 出光創業史料室
出光美術館(門司)に併設された「出光創業史料室」は、日本で唯一の施設で、出光興産本社にあった当時の執務室が移築・再現されている。歴代の出光の看板・商標などが展示されており、門司港で事業を興した出光佐三氏の足跡をたどる貴重な資料や映像を見ることが出来る。
出光興産の創業者・出光佐三(1885-1981)は、明治44年(1911年)、門司の、現在の鎮西橋交差点近くに、機械油の販売店「出光商会」を開店した。創業当初は従業員数名の小さな店であったという。日清、日露戦争、二度の世界大戦、戦後復興、そして経済大国へと激動する時代を「人間尊重」という理念を掲げ、事業経営に取り組んだ出光佐三の足跡が、「出光佐三の足跡―「人間尊重」の実践」として、7つのコーナーに分けて紹介されている。ちなみに、出光佐三氏をモデルに描かれた小説「海賊とよばれた男」は、平成28年に映画化された。映画の中で使用された資料(半纏や机など)は、この史料室で見ることができる。
また、出光興産一社提供番組である「題名のない音楽会」内で放送されている出光美術館のCMは、関東広域圏のテレビ朝日系や、北九州市近郊の九州朝日放送・山口朝日放送(門司)のみで放送され、それ以外の地域では出光興産の企業CMである。
出光興産の創業者・出光佐三(1885-1981)は、明治44年(1911年)、門司の、現在の鎮西橋交差点近くに、機械油の販売店「出光商会」を開店した。創業当初は従業員数名の小さな店であったという。日清、日露戦争、二度の世界大戦、戦後復興、そして経済大国へと激動する時代を「人間尊重」という理念を掲げ、事業経営に取り組んだ出光佐三の足跡が、「出光佐三の足跡―「人間尊重」の実践」として、7つのコーナーに分けて紹介されている。ちなみに、出光佐三氏をモデルに描かれた小説「海賊とよばれた男」は、平成28年に映画化された。映画の中で使用された資料(半纏や机など)は、この史料室で見ることができる。
また、出光興産一社提供番組である「題名のない音楽会」内で放送されている出光美術館のCMは、関東広域圏のテレビ朝日系や、北九州市近郊の九州朝日放送・山口朝日放送(門司)のみで放送され、それ以外の地域では出光興産の企業CMである。
<資料:中学同窓・稲佐重正君提供>
<写真:中学同窓・田中文君撮影>
<写真:中学同窓・田中文君撮影>
参考資料:1.ルネッサンスの知恵 第3号 門司港レトロヘの道すじ 財団法人北九州都市協会(平成14年2月)、2.北九州市新・新中期計画 北九州市(昭和55年4月)、3.ポート門司 21 北九州市職員研修所(昭和57年)ほかあ