小中学校時代|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

小中学校時代(同窓会関係)

霊峰・戸ノ上山と氏神・戸ノ上神社

戸上神社(とのえじんじゃ)は、北九州市門司区の最高峰・戸上山(海抜521m)の山頂に「上宮」、麓に「本宮」が鎮座し、同一祭神を奉祀している1100年余りの歴史を持つ緑に囲まれた神社であり、幼少の頃より、毎年新年の初詣に行っていた氏神神社である。

神社の御由緒では、宇多天皇の寛平年間(889〜898年)、約1100余年の昔、宇多天皇の御勅旨により、鎮西の霊峰・戸上山上に天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)の三柱の大神を奉祀したことに始まると伝えている。奉祀の際、御霊代(みたましろ)を枝折戸(しおりど)に奉戴して山上に奉安したことから、山の名を戸上と号し、神社を戸上神社と称するようになったという。また、寛平元年(898年)、馬寄村の漁夫の網にかかった御神像を枝折戸に奉載して山上に奉ったことから戸上神社となり、山名を戸上山と称するようになったという説も伝わっている。
他に合祀されている十七柱は、奥津日子神、奥津比売神、須佐之男神、大山祇神、大穴牟遅神、少名比古那神、豊日別命、宇迦之御魂神、保食神、高淤加美神、高淤加美命、闇淤加美命、罔象女神、建御名方神、猿田彦神、安徳天皇、平宗盛である。

神仏習合の名残で、境内には戸上神社の隣に「満隆寺(まんりゅうじ)」というお寺がある。このお寺は平安初期、空海(弘法大師)が戸上山に霊感を感じ創建したと伝えられている。縁起書によれば、平城天皇の大同元年(西暦806年)、弘法大師が唐より帰朝の折、関門海峡を通過中、船中より戸上山を仰ぎ、霊感を感じ、当地に下船して、この霊峰に登り密法を修め、山麓に一宇を建立し、随身供養の観音像を安置されたのが起源であるという。
境内には大師堂大日如来像、小笠原忠真公奉納の十二神将などがある。

江戸時代には、小倉藩主の細川家小笠原家、筑後久留米藩主の有馬家など、近世歴代の藩主の崇敬は篤く、国家安穏、天下太平、五穀豊穣と江戸参勤上下の節は海陸交通の安全、武運長久を祈願し、御神徳に感謝し、数々の寄進をしている。また藩主のみならず庶民の崇敬も著しく、古来より大里町民は戸上権現様と称し、海陸交通安全、商売繁盛、家内安全を祈願し、御神徳に感謝し崇敬も篤い。

戸ノ上神社

戸ノ上j山を背景の門司駅舎

戸ノ上神社 拝殿奥に御神殿
霊峰・戸ノ上山を背景の門司駅舎北口(背面)

郷里の地名・内裏(現・大里)の由来と安徳天皇の御所神社・柳の御所

御所神社は、大里(だいり)の中心街である北九州市門司区大里戸ノ上1-11-25にあり、ご祭神は安徳天皇平宗盛卿である。現在は戸上神社のお旅所となっているが、この場所はむかし安徳天皇仮御所の跡であったことから、「柳の御所」と呼ばれている。
すなわち、寿永二年(1183年)木曽義仲に都を追われた平家一門は、安徳天皇を奉じて西に逃れ、太宰府に落ちていった。しかし、ここでも、豊後の豪族、緒方三郎惟義が攻め寄せると聞いて、さらに遠賀郡山鹿の城(芦屋町)を経て、豊前国・柳が浦にたどり着き、この地を仮の御所「内裏」(だいり)と定め、 安徳天皇の屋敷など急ごしらえの造営を行った。この「柳が浦」は現在の「大里」のことで、古い記録に「内裏」と書かれているのは、しばらくの間、仮の御所があったからである。
現在の御所神社の社殿は、明治天皇が明治35年(1902年)に熊本へ行幸の際、大里駅御休憩所として新築されたが、翌年地元の要望によって「柳の御所」のあった現在の場所に移築されたものである。この大里での御休憩は、安徳天皇の慰霊が目的だったとされる。

郷里の地名・内裏(現・大里)の由来と御所神社・柳の御所

郷里の地名・内裏(現・大里)の由来と御所神社・柳の御所

郷里の地名・内裏(現・大里)の由来と安徳天皇の御所神社・柳の御所

安徳帝風呂の井戸(町名「不老」の由来)

寿永二年(1183年)、木曽義仲の乱入で京都を追われた平家は、安徳天皇を奉じて西下し、再起の地を大宰府に求めたが、緒方惟義の反逆に遭い、住吉、箱崎、香椎、宗像を伏し拝み、芦屋から海路で豊前国・柳が浦(現在の大里)にたどり着き、この地を仮の御所「内裏」と定め、天皇の旅の疲れを癒すため、「鏡ヶ池」と呼ばれる泉から水を汲んで風呂の用水にしたことから、この用水を「鏡ヶ池の玉水」、この泉を「安徳帝風呂の井戸」と呼び、このあたり一帯の字名を「風呂」といっていた。しかし、大正時代末期に道路を整備した際、町名を「不老」に変えた。門司駅前正面の「不老通り」にその名を残している。

安徳帝風呂の井戸

安徳帝風呂の井戸

安徳帝風呂の井戸

安徳天皇に使われた風呂の井戸(地名・不老町の由来となる)
■ 風呂の地蔵
一度は西下した平家も空しく引揚げ、一の谷で敗れ再び西下、壇の浦の藻屑と消えたのが寿永四年であった。平家一門の霊を祀った風呂禅院「西光山大專寺」は柳村に在ったが、慶長年間に改宗して街道筋に移され、地蔵堂だけは風呂の一角に残されていたが、昭和四十六年八月 柳共有組合によって、改めて小堂が建立され、御幼帝の霊が弔われている。

通学路と小学校/中学校校舎周辺の「日本近代化産業遺産認定」の歴史的建造物群

日本近代化産業遺産認定の歴史的建造物群溢れるレトロ門司・大里(内裏)

日本近代化産業遺産認定の歴史的建造物群溢れるレトロ門司・大里(内裏)
■ レトロ門司・大里(内裏)の「赤レンガプレイス」(主に臨海部) (日本近代化産業遺産認定の歴史的建造物群)
JR門司駅から小森江駅周辺にかけて、海沿いのエリアに赤煉瓦の古い建物が立ち並ぶ。これらの煉瓦建築のほとんどは、三井・三菱財閥と並ぶ大企業として、大正期〜昭和初期に繁栄した幻の新興財閥・「鈴木商店」が関連した企業の建物である。これらの中には、門司駅前の門司麦酒煉瓦館を含む建築群「門司赤煉瓦プレイス」のように、観光地や商業施設として保存・活用されている建物もあるが、今でも現役で倉庫や工場として利用されている建物もある。
門司赤煉瓦プレイス」として保存された門司麦酒煉瓦館・旧サッポロビール醸造棟・赤煉瓦交流館・赤煉瓦物産館 / 写真館(旧組合棟)の建物群は、西日本における麦酒製造発祥の地として歴史的にも、また建築的意匠においても価値を有する建造物であり、大里本町地区のまちづくりの中核施設として保存、活用されている(運営はNPO法人門司赤煉瓦倶楽部)。これらの煉瓦建物群は、平成19年(2007年)に国の登録有形文化財に登録され、平成21年(2009年)には、近代化産業遺産続33(33九州窯業 – 北九州市の鉱滓煉瓦製造関連遺産)に認定された。

旧サッポロビール醸造棟(旧仕込場)大正2年竣工

赤レンガ交流館(旧倉庫棟)

門司ビール煉瓦館
旧サッポロビール醸造棟(旧仕込場)
大正2年竣工

赤レンガ交流館(旧倉庫棟)

旧大里製粉所倉庫(現ニッカウヰスキー門司工場倉庫)

赤レンガ交流館(旧倉庫棟)
旧大里製粉所倉庫
(現ニッカウヰスキー門司工場倉庫)

赤煉瓦写真館(旧変電所)ビール醸造棟裏(駅側)の建物

背景・戸ノ上山

赤煉瓦写真館
(旧変電所)ビール醸造棟裏(駅側)の建物
背景・霊峰戸ノ上山

小学校時代

■ 当時の西門司小学校校舎

当時の小学校 校門

西門司小学校 校門

西門司小正門と校舎全景

西門司小学校 校舎外観

朝礼 

朝礼

教職員一同

小学校教職員一同
▼ 西門司小学校2年生時

小学2年生(最後列右より8人目、左より10人目)

小学2年生時(最後列右より8人目、左より10人目)
▼ 西門司小学校6年生時

小学6年生時

同窓恵送の小学校卒業アルバムより

6年4組(古賀学級)  割烹実習

6年4組(古賀学級) 割烹実習

中学校時代

■ 当時の柳西中学校校舎

当時の柳西中学校校舎

柳西中学校 校舎外観

中学教職員

当時の中学教職員

中学1年生次 英彦山にて昆虫採集キャンプ

中学1年生次 他校生と共に、英彦山にて同好の昆虫採集キャンプ(1週間)
(右端上より二番目)
■ 現在の柳西中学校校舎

現在の柳西中学校校舎

現在の柳西中学校校舎

学会出張に合わせてくれ、中学同窓会に数十年ぶりの出席  2007年7月15日

■ 学会出張に合わせてくれ、中学同窓会に数十年ぶりの出席
学会出張に合わせてくれ、中学同窓会(豊前・求菩提温泉 ト仙の郷)に数十年ぶりの出席。 日程調整に感謝! 2007年7月15日

数十年ぶりの出席

数十年ぶりの出席

北九州空港で数十年ぶりに出会う

求菩提温泉 ト仙の郷

求菩提温泉 ト仙の郷

豊前・求菩提温泉 ト仙の郷にて同窓会

求菩提温泉 ト仙の郷

恩師宅へ

数十年ぶりに出席 求菩提温泉に集う
皆で恩師・今林和佐子先生宅を訪問

実家売却準備で帰郷の折、急遽、中学同窓集い、旧交を温める 2008年8月19日

■ 実家売却準備で帰郷の折、急遽、中学同窓集い、旧交を温める
実家売却のため、解体前の貴重品整理や業者との打ち合わせで帰郷した折、急遽、中学同窓集う。関門の夜景を味わえるレストランで、同窓と久しぶりの親交を楽しむ(門司) 2008年8月19日

急遽、同窓集う

急遽、同窓集う

急遽、同窓集う

博多祇園山笠招待の折、中学恩師と会食(小倉) 2010年7月10〜13日

■ 博多祇園山笠招待の折、中学恩師と会食(小倉)
博多祇園山笠へ招待された折、合間に小倉へ移動し、中学恩師と会食 (小倉・リーガロイヤルホテル日本料理店にて) 2010年7月13日

博多山笠へ招待される

大宰府天満宮・楼門の前で

博多祇園山笠へ招待される 
六番山笠大黒流の前にて 7月10日
祭り開始前、大宰府天満宮参拝 
楼門の前で 天本夫妻と 7月11日

歓迎会

歓迎会

博多山笠へ招待される

博多山笠へ招待される

歓迎会を開いてくれる(天神・西鉄グランドホテル) 7月12日

博多山笠へ招待される

博多山笠へ招待される

追山馴し  7月12日
かき山笠 六番山笠 大黒流 7月12日

かき山笠

かき山笠

かき山笠 三番山笠 千代流 7月12日
かき山笠 五番山笠 土居流 7月12日

博多飾り山笠 

今林先生と会食(小倉リーガロイヤルホテル日本料理店)

博多祇園 飾り山笠 十七番山笠 川端中央街
合間に小倉へ移動し、中学恩師と会食
中学恩師に小倉駅までご足労願い、リーガ・ロイヤルホテル 日本料理店にて会食 7月13日

博多山笠へ招待される

博多山笠へ招待される

博多に戻り、集団山見せ 六番山笠大黒流 7月13日

講演出張の帰途、中学同窓集う(門司・海浜レストラン)2010年8月8~9日

■ 講演出張の帰途、 中学同窓と親交を楽しむ
講演出張の帰途、関門の夜景と海の香りを味わえる海浜レストランで、中学同窓と旧交を温める。級友に感謝! 2010年8月8〜9日

講演出張の帰途、急遽の中学同窓会(門司)

講演出張の帰途、急遽の中学同窓会(門司)

中学同窓と久しぶりの親交を楽しむ

2次会 大里・門司駅前のバーで

2次会 大里・門司駅前のバーで

2次会 大里・門司駅前のバーで
▼ 翌日、恩師宅訪問

講演出張の帰途、急遽の中学同窓会(門司) 2010年8月8〜9日

講演出張の帰途、急遽の中学同窓会(門司) 2010年8月8〜9日

翌日、恩師宅訪問

松崎君上京、箱根にて遊ぶ 2010年11月11〜12日

■ 松崎君上京、箱根にて遊ぶ 箱根湯本温泉&ゴルフ
松崎君上京 箱根にて遊ぶ −箱根湯本温泉・吉池旅館(旧三菱・岩崎邸跡) & ゴルフ(箱根くらかけゴルフ場)−  2010年11月11-12日

箱根湯本温泉・吉池旅館(旧三菱・岩崎邸跡)庭園「山月園」にて

箱根湯本温泉・吉池旅館(旧三菱・岩崎邸跡)庭園「山月園」にて

箱根湯本温泉・吉池旅館(旧三菱・岩崎邸跡)(源泉かけ流し温泉) 庭園「山月園」にて(稲富君、松崎君と)温泉を楽しむ

箱根湯本温泉・吉池旅館(旧三菱・岩崎邸跡)

箱根くらかけゴルフ場 眼下に芦ノ湖

箱根湯本温泉・吉池旅館(旧三菱・岩崎邸跡)
箱根くらかけゴルフ場 眼下に芦ノ湖

箱根くらかけゴルフ場

箱根くらかけゴルフ場

箱根くらかけゴルフ場

箱根くらかけゴルフ場

箱根くらかけゴルフ場
(富士山の絶景と眼下に芦ノ湖、駿河湾を望むなだらかなコースレイアウト)

術後ながら、学会出張の帰途、中学同窓と親交を楽しむ(豊前) 2013年7月7日

■ 右肺上葉摘出手術後2か月半での学会出張の帰途、中学の同窓集う(豊前・卜仙郷温泉&恩師宅)
右肺上葉摘出手術後2か月半での長旅(1週間余)であったが、学会出張(大阪)の帰途、博多での会合に出席した後、豊前・求菩提温泉 ト仙の郷へ。恩師を交え、中学の同窓集う。開催日程の配慮に感謝! 2013年7月1〜7日

学会出張の帰途、中学の同窓集う

学会出張の帰途、中学の同窓集う

学会出張の帰途、中学の同窓集う

学会出張の帰途、中学の同窓集う

豊前・卜仙郷温泉にて
恩師宅にて
術後ながら、学会出張の帰途、中学クラス会(豊前・求菩提温泉 ト仙の郷) 友情に感謝!
(右肺上葉摘出手術後2か月半での1週間の長旅)

学会(岡山)&講演(広島)出張の帰途、中学級友と広島で集う 2014年7月4日

■ 学会(岡山)& 講演(広島)出張の帰途、先祖・京極家13代目・高重の菩提寺・専念寺を面談約束訪問の傍ら、中学級友と広島で集う
学会(岡山)&講演(広島)出張の帰途、先祖・宇多源氏・佐々木京極家13代目・高重の菩提寺・専念寺を面談約束訪問の傍ら、門司から車で駆けつけてくれた級友(松崎君、神田君)と広島在住の級友(一ノ瀬君、坂元さん)と広島で集う  2014年7月4〜5日

13代目・高重:安芸国へ拠を移す

京極13代目・高重:江戸時代・元禄3年以降、居城を安芸国へ移す 山縣郡八重村城主
▼ 先祖・宇多源氏・佐々木京極家13代目・高重の菩提寺・専念寺を訪ねる

先祖・京極13代目・高重菩提寺・専念寺を訪ねて

先祖・京極13代目・高重菩提寺・専念寺を訪ねて

450年を超すという古寺名刹 (もとは天台宗で永楽山称名寺*と称し、現在の白木町にあったが、1559年(永禄2)年8月に真宗に改宗し、寺号を専念寺と改めてこの地に移転。現在の寺社は、高所より下り、再建立されたもの。)
称名寺:鎌倉幕府の要人・北条実時が1258年に創建したという鎌倉時代の古刹。金沢北条氏一門の菩提寺である金沢山称名寺は鎌倉時代の国宝や重要文化財など、歴史的価値のある文化遺産を金沢文庫に所蔵し、世界遺産候補。

先祖・京極13代目・高重菩提寺・専念寺を訪ねて

先祖・京極13代目・高重菩提寺・専念寺を訪ねて

京極13代目・高重菩提寺・専念寺を訪ねて
サルスベリは、 安芸高田市指定天然記念物

高重の菩提寺・専念寺

高重の菩提寺・専念寺

高重の菩提寺・専念寺

高重の菩提寺・専念寺

先祖・宇多源氏・佐々木京極家13代目・高重の菩提寺・専念寺 本堂

京極13代目・高重:安芸国へ拠を移す

京極13代目・高重:安芸国へ拠を移す

京極13代目・高重:安芸国へ拠を移す

先祖伝来の系図:宇多源氏・佐々木京極家13代目・高重(家紋:宇多源氏嫡流の隅立四ツ目結)
▼ 級友と原爆ドーム&宮島・厳島神社を観光

広島駅前のレストランで

広島市内観光 原爆ドームを前にして

広島駅前レストランにて会食
広島市内観光 原爆ドームを前にして

厳島神社を訪ねて

厳島神社を訪ねて

宮島・厳島神社を訪問

学会(岡山)& 講演(広島)出張の帰途、中学恩師宅訪問 2014年7月6日

■ 学会(岡山)& 講演(広島)出張の帰途、先祖・京極家13代目・高重菩提寺(広島)訪問後、中学恩師宅(豊前)訪問

学会・講演の帰途 恩師宅訪問

学会・講演の帰途 恩師宅訪問

学会・講演の帰途 恩師宅訪問

学会&講演出張(1週間の長旅)の帰途、先祖・宇多源氏・佐々木京極家13代目・高重の菩提寺・専念寺(広島)訪問後、松崎君と中学恩師宅訪問。先生の手料理をご馳走になり、感激! 喧騒から離れ、心落ち着くひと時を持った。

4年ぶりの九州訪問 −中学同窓集う− 2017年8月20日

■ 4年ぶりの九州訪問;学生寮OB会(8/19、博多)出席後、中学同窓集う(8/20、門司)、高校同窓集う (8/21、門司港) 
4年ぶりの九州訪問。門司、小倉、博多より中学同窓集う。 2017年8月20日

4年ぶりの九州訪問 −中学同窓集う(卜仙郷)−

4年ぶりの九州訪問 −中学同窓集う(卜仙郷)−

恩師宅訪問 豊前・求菩提温泉「ト仙の郷」にて昼食

4年ぶりの九州訪問 −中学同窓集う(恩師宅)−

4年ぶりの九州訪問 −中学同窓集う(恩師宅)−

恩師宅訪問

4年ぶりの九州訪問 −中学同窓集う(門司)−

4年ぶりの九州訪問 −中学同窓集う(門司)−

中学同窓集う(門司・海鮮料理店)

腰痛を抱え、強行日程ながら、恩師宅訪問&同窓集う 2018年10月18日〜20日

■ 腰痛を抱えながら、新規認定の世界遺産・宗像大社(宗像)および安昌院(大島)の面談約束訪問の傍ら、高校同窓会(福岡・二日市温泉)および中学恩師宅(豊前)訪問&同窓の集い(門司)を2泊3日の強行日程で熟す
自宅ー自動車ー航空機ー自動車ー目的地ー自動車ー航空機ー自動車ー自宅の宅配便で、極力歩行を抑え、2泊3日の九州での高校同窓会(福岡・二日市温泉)、宗像大社・辺津宮(宗像)、渡船フェリーで宗像大社・中津宮(大島)&安倍宗任菩提寺・安昌院(大島)訪問、中学恩師宅(豊前)訪問&中学同窓会(門司)を熟す  2018年10月18日〜20日
▼ 中学恩師宅訪問

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問&同窓集う 

豊前・求菩提温泉「ト仙の郷」にて昼食

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問&同窓集う 

「卜仙の郷」温泉にて昼食
中学恩師宅訪問

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問&同窓集う 

中学恩師宅訪問

恩師著書

恩師著書

先生のライフワークである神楽の著書:「神楽」ならびに「日吉大社参拝記」を恵贈いただく
▼ 中学同窓集う(門司・フグ料理店)

中学同窓集う

大病を乗り越えた友を祝す! 日本航空JAL20:45発最終便に搭乗のため、中座。予約タクシーにて北九州空港へ急ぐ。腰痛を抱えながら、2泊3日の九州旅行を熟す。

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