学会出張の帰途、真如堂を訪ねて|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

真如堂(鈴聲山・真正極楽寺)

阿弥陀如来(慈覚作)安置の真如堂(真正極楽寺)(京都)を訪ねて

講演出張の帰途、京都在住の高校同窓・木山克明君のドライブ兼案内で、真如堂(真正極楽寺)を訪ねる。 2009年4月13日

真如堂(真正極楽寺本堂)

真如堂(真正極楽寺本堂)
真如堂は、984年(永観2年)、比叡山の戒算(かいさん)が、常行堂の本尊阿弥陀如来(慈覚作)を円融天皇の女御で一条天皇の生母である東三条女院(藤原詮子)の離宮に安置したのが始まり。真如堂とは本堂の名称で、正式には鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)という天台宗の寺。
不断念仏の道場として栄え、浄土宗の法然や浄土真宗の親鸞をはじめとする念仏行者や多くの民衆の信仰を集め、特に女性の深い信仰を得てきた。しかし、応仁の乱による戦火で堂塔は焼失。その後、各所を転々したが1693年(元禄6年)に東山天皇の勅により旧地に戻り再建された。

ご本尊の阿弥陀如来は慈覚大師円仁の作(794〜864)であるが、完成間際に、大師が「比叡山の修行僧のための本尊になって下さい」と眉間に白毫を入れようとすると、如来は首を振って拒まれた。それでは「都に下って、すべての人々をお救い下さい。特に女の人をお救い下さい」と言うと、如来がうなずかれたところから、「うなずきの弥陀」とも呼ばれている。 手は「すべての人を救おう」という誓願を表わした「九品来迎印を結んでいる。如来は、戒算上人と東三條女院の夢枕に立った老僧のお告げにより、女人禁制の比叡山から京の都に遷座され、真如堂のご本尊として祀られるようになった。

真如堂(真正極楽寺本堂)

真如堂(真正極楽寺本堂)

真正極楽寺 三重塔(法華塔)

真如堂(真正極楽寺本堂)
真如堂(真正極楽寺本堂)
真正極楽寺 三重塔(法華塔)
12000坪の境内には、15間四面の堂々たる本堂の他、総門、元三大師堂、鐘楼堂などが並び、文化年間に再建された三重塔が趣を添えている。 寺宝には、運慶の発願によって書写された法華経、遣唐使船や応仁の乱の合戦場面などで知られる真如堂縁起などがある。
◎本堂:1693年(元禄6年)から1717年(享保2年)にかけての建立。「真如堂」の額は1726年(享保11年)、宝鏡寺宮からの寄進されたもの。徳川五代将軍綱吉と桂昌院によって寄進された宮殿の中には、本尊阿弥陀如来、安倍晴明の念持仏といわれる不動明王、千手観音が祀られている。
◎三重塔:宝暦年間(1751〜63年)の創建。現在の塔は、1817年(文化14年)に再建された。高さ約30メートル。

真如堂

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