多賀大社(滋賀・多賀町)を訪ねる|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

天照大御神の父母神を祀る多賀大社

伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る多賀大社(犬上郡)を訪ねて

大阪へ学会出張の帰途、奈良の学会へ参加の妻と合流して、出発前の時間を利用して、京極高氏道誉像(重文)所蔵の京極道誉菩提所勝楽寺(滋賀・犬上郡甲良町)を訪ねた後、37度以上(京都は39度)の猛暑の中、残り1時間の冒険で多賀大社(滋賀・犬上郡多賀町)を訪ねる。
万灯祭(8月3日〜5日)前日とのことで、境内には無数(約12000灯という)の提灯が飾られていた。 2015年8月2日。

多賀大社周辺地図

多賀大社周辺地図

多賀大社境内図

▼ 多賀大社
多賀大社: 多賀大社は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にあり、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の2柱を祀る。古来より朝廷のみならず武家からも,長寿と縁結びの神様として信仰され、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社である。全国に分祀されており,その数は233社(境内社まで含めると299社)にものぼる。
奈良時代のはじめ和銅5年(西暦712年)に編纂された『古事記』の一部には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」との記載があり、この2神は高天原(たかまがはら)で夫婦として、大八洲国 (おおやしま国;日本)と八百万(やおよろず)の神々および天照大御神(あまてらすおおみのかみ;天皇家の祖先)や須佐之男命(すさのおのみこと)を産んだとされている。
また、延長5年(927年)に藤原忠平らによって編纂された『延喜式神名帳』では、「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、この時代にはすでに伊邪那岐命・伊邪那美命の2柱が祀られていたことが窺える。
『古事記』以前の時代には、一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀ったとの説がある。 犬上君(犬上氏)は、多賀社がある「犬上郡」の名祖であり、第5次遣隋使・第1次遣唐使で知られる犬上御田鍬を輩出している。

伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子であることから、「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」との俗謡があり、中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で賑わったという。

例年4月22日には多賀まつり(古例大祭)があり、鎌倉時代からの伝統を今に伝える騎馬四十頭の華麗な神幸行列が有名。また、8月3日〜5日には万灯祭が開催される。万灯祭では,境内に約12000灯の提灯に明かりが灯されるという。この他、節分祭、お田植祭、万灯祭、九月古例祭、講社大祭、豊年講秋祭などがある。

多賀大社

多賀大社

多賀大社

多賀大社

多賀大社

社殿(奥への順に拝殿・神楽殿・幣殿・本殿)

多賀大社

拝 殿

多賀大社

多賀大社

多賀大社

多賀大社

多賀大社

能舞殿
授与所(奥に社務所)

多賀大社

多賀大社

多賀大社

能舞殿
拝 殿
拝 殿

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