特集寄稿「コロナ禍」感染の緊要「蟻の一穴」の理
Feature Contribution:The urgent importance of infection is
the reason of “hole of the ant is a tear of the world”
the reason of “hole of the ant is a tear of the world”
同窓会誌・特集「コロナ禍」への寄稿 2020年7月7日 寄稿 11月10日 発刊
Contribution to a special edition about “Corona related chaos” of an Alumni bulletin
■ 同窓会誌・特集寄稿「コロナ禍」感染の緊要「蟻の一穴」の理
特集寄稿「コロナ禍」感染の緊要「蟻の一穴」の理 ➔ 拡大 (pdf)
特集寄稿:感染の緊要「蟻の一穴の理」
ウイルス感染の拡大は「人の移動/接触」が全てであり、その防止には「初期対応」が全てである。しかも、感染災害の大小は、「リーダーの智愚の差」に依存する。
2020年7月7日 寄稿 11月10日 発刊 ああああああ
感染の緊要「蟻の一穴」の理
荒川 泰昭 (35回生)
大学教授時代を含め退官後も学会理事長、厚労省所管機関の客員や学術アドバイザー、厚労省発行・国際科学誌(英文)のエディターなどを兼務しているが、新年早々、国際会議の特別招待講演で訪れた中国・武漢で、新型コロナウイルスが発生したとのニュースが入った。武漢での感染者は当初1月2日までに41例、1月20日には計198例となり、この時点では、武漢以外の地域での3例に、日本1例、タイ2例、韓国1例の輸入例4例を合わせて205例(内、死亡者3例)の感染者が確認された。この不穏なニュースに接した時、2009年の新型インフルエンザ(パンデミック2009)が脳裏を過り、思わず「感染の緊要“蟻の一穴”の理」と懸念の拙句を口走っていた。感染においては、この時期での「迅速な対応」が最も重要で、「蟻の一穴天下の破れ」(ほんの僅かな油断や軽視が、大きな失敗や損害さらには国家の乱れを引き起こす)の思いであった。
しかし、その後の初期対応は、衛生・公衆衛生の予防医学を本職とする者にとって、余りにも拙悪なるものであった。感染拡大の経緯を拙作のホームページ等に掲載し、その鬱憤を訴えていたが、そんな折、6月下旬に珊瑚会(35回生)会長の西田君より同窓会誌への寄稿依頼が届いた。テーマは特集「コロナウイルス禍」であった。どのスタンスで書くか迷ったが、問題の「初期対応」にフォーカスし拙稿させていただくことにした。
ウイルス感染の拡大は「人の移動/接触」が全てであり、その防止には「初期対応」が全てである。しかも、感染災害の大小は、「リーダーの智愚の差」に依存する。事実、不幸にも人の移動/接触に対する「先見の識あるいは慧眼」なきリーダーを持つ国々では、愚策・後手策の連鎖で、ウイルスを全土に蔓延させ、取返しのつかない深刻な事態を招いており、優れたリーダーを持つ国々では感染への初期対応が速く、迅速・短期・集中の理に適った阻止対策(封じ込め)により、感染拡大を抑え、早々に新規死者ゼロを維持している。ウイルスを国内に招き入れ、全土に拡散させてからでは「後の祭り」で、ワクチンや特効薬が無い限り、国民はその始末(ウイルス禍)に翻弄され、疲弊する。結果、予期せぬ死者を出す。「成るべくして成る」である。
とは言え、死者を発生させた責任は重大である。その責任は、数値ではなく、「個の存在と尊厳」に重きを置き、敬意をもって論じられるべきである。然るに、日本は、米国と同じパターンで、未だに死者が増え続けており、現時点で死者総数は一千人に迫る勢いである。早期より新規死者ゼロの東アジア・西太平洋死亡低値諸国に比べ、日本は最悪である。感染に弱い持病老人にとっては、命の沙汰も「歩く足には泥(塵)が付く」の心境であろう。
大学の講義の初講で話すことであるが、社会医学を扱う衛生学の理念は、アポロ神話の中の、予防の神ハイジア(医薬の神アスクレピウスの子)による「生命を衛り、生活を衛る」の理念に始まり、現在では「予知予見に基づく予防対策」を真髄としている。すなわち、私の在籍した衛生学教室では、初代・緒方正規教授、北里柴三郎助手、森鴎外らが在籍した明治時代においては伝染病が対象の「後追い対策」であったが、現在では社会的要求を背景に、環境衛生、労働衛生、生活習慣病、健康増進、リスクアセスメントなどが対象の「前向き対策」を衛生学の真髄としている。そして、如何に生き、如何に死するかをテーマとしている。リーダーたる者には、この神髄「先取り対策」を帝王学の一つとして会得し、「先見の識あるいは慧眼」なる資質を有して欲しいものである。因みに、今回のコロナ禍では、多くの犠牲を払いつつも、健康教育(衛生教育)の目的である知識の理解、態度の変容、行動の変容(究極の目的)を世界中の人々に実践させ得たことは、皮肉にも対ウイルスの人類にとって益に働いている。
原稿締め切りの7月を考慮して、現時点までの半年間を纏めると、残念ながら、日本では、感染初期の「人の移動/接触」に対する杜撰な「先見なき対応」(含・水際対策での大失態)、軽症者・無症状ウイルス保有者無視の「検査の抑制」、迅速・短期・集中の「検査と隔離」の徹底不全、「検査隔離体制と治療体制」の両立/確立の未完、そして「その場凌ぎ」の愚策・後手策の連鎖にみる「危機管理能」の欠如が、感染拡大を顕著化させ、国民生活や社会経済に無駄な混乱と負担を強い、国民や国を翻弄、疲弊させ、尊い命を奪うに至らしめた。現時点までは、国民の「知恵と忍耐と真面目さ」が愚策による大失態から当面の窮状を救っているが、今後、防疫(命)と経済との両立で、浅短鈍智なる愚策を講ずれば、感染爆発の後続波襲来も必然であろう。(2020年7月7日 寄稿)
―――――――― 同窓会誌「硯の海」特集「コロナ禍」寄稿:1897字
しかし、その後の初期対応は、衛生・公衆衛生の予防医学を本職とする者にとって、余りにも拙悪なるものであった。感染拡大の経緯を拙作のホームページ等に掲載し、その鬱憤を訴えていたが、そんな折、6月下旬に珊瑚会(35回生)会長の西田君より同窓会誌への寄稿依頼が届いた。テーマは特集「コロナウイルス禍」であった。どのスタンスで書くか迷ったが、問題の「初期対応」にフォーカスし拙稿させていただくことにした。
ウイルス感染の拡大は「人の移動/接触」が全てであり、その防止には「初期対応」が全てである。しかも、感染災害の大小は、「リーダーの智愚の差」に依存する。事実、不幸にも人の移動/接触に対する「先見の識あるいは慧眼」なきリーダーを持つ国々では、愚策・後手策の連鎖で、ウイルスを全土に蔓延させ、取返しのつかない深刻な事態を招いており、優れたリーダーを持つ国々では感染への初期対応が速く、迅速・短期・集中の理に適った阻止対策(封じ込め)により、感染拡大を抑え、早々に新規死者ゼロを維持している。ウイルスを国内に招き入れ、全土に拡散させてからでは「後の祭り」で、ワクチンや特効薬が無い限り、国民はその始末(ウイルス禍)に翻弄され、疲弊する。結果、予期せぬ死者を出す。「成るべくして成る」である。
とは言え、死者を発生させた責任は重大である。その責任は、数値ではなく、「個の存在と尊厳」に重きを置き、敬意をもって論じられるべきである。然るに、日本は、米国と同じパターンで、未だに死者が増え続けており、現時点で死者総数は一千人に迫る勢いである。早期より新規死者ゼロの東アジア・西太平洋死亡低値諸国に比べ、日本は最悪である。感染に弱い持病老人にとっては、命の沙汰も「歩く足には泥(塵)が付く」の心境であろう。
大学の講義の初講で話すことであるが、社会医学を扱う衛生学の理念は、アポロ神話の中の、予防の神ハイジア(医薬の神アスクレピウスの子)による「生命を衛り、生活を衛る」の理念に始まり、現在では「予知予見に基づく予防対策」を真髄としている。すなわち、私の在籍した衛生学教室では、初代・緒方正規教授、北里柴三郎助手、森鴎外らが在籍した明治時代においては伝染病が対象の「後追い対策」であったが、現在では社会的要求を背景に、環境衛生、労働衛生、生活習慣病、健康増進、リスクアセスメントなどが対象の「前向き対策」を衛生学の真髄としている。そして、如何に生き、如何に死するかをテーマとしている。リーダーたる者には、この神髄「先取り対策」を帝王学の一つとして会得し、「先見の識あるいは慧眼」なる資質を有して欲しいものである。因みに、今回のコロナ禍では、多くの犠牲を払いつつも、健康教育(衛生教育)の目的である知識の理解、態度の変容、行動の変容(究極の目的)を世界中の人々に実践させ得たことは、皮肉にも対ウイルスの人類にとって益に働いている。
原稿締め切りの7月を考慮して、現時点までの半年間を纏めると、残念ながら、日本では、感染初期の「人の移動/接触」に対する杜撰な「先見なき対応」(含・水際対策での大失態)、軽症者・無症状ウイルス保有者無視の「検査の抑制」、迅速・短期・集中の「検査と隔離」の徹底不全、「検査隔離体制と治療体制」の両立/確立の未完、そして「その場凌ぎ」の愚策・後手策の連鎖にみる「危機管理能」の欠如が、感染拡大を顕著化させ、国民生活や社会経済に無駄な混乱と負担を強い、国民や国を翻弄、疲弊させ、尊い命を奪うに至らしめた。現時点までは、国民の「知恵と忍耐と真面目さ」が愚策による大失態から当面の窮状を救っているが、今後、防疫(命)と経済との両立で、浅短鈍智なる愚策を講ずれば、感染爆発の後続波襲来も必然であろう。(2020年7月7日 寄稿)
―――――――― 同窓会誌「硯の海」特集「コロナ禍」寄稿:1897字