腦の栄養不足は大丈夫?
腦に必要な栄養素とその欠乏
特集「飽食時代の落とし穴!? 欠乏症にご用心」−脳の栄養不足は大丈夫?−:荒川泰昭、「食生活」
Vol.94、(財)国民栄養協会、東京、2000年
Vol.94、(財)国民栄養協会、東京、2000年
脳に必要な栄養素とその欠乏
ヒトの脳において、栄養不足による発症要因を特定することは、食生活が環境、衛生、様式、習慣などに左右されるため、栄養不足の影響のみを限定することが難しく、現在のところ難問山積である。また、食事摂取による「脳の栄養」を考える場合、避けて通れない問題はその栄養素が“血液脳関門”を通過するかどうかである。従って、脳内だけの代謝や機能から判断して必要な栄養素を羅列しても無意味である。ここに、「脳の栄養」の独立性があり、かつその栄養補給における難しさがある。以下、脳に必要な栄養素とその欠乏による脳への影響について概説する。
1.脳のエネルギー源はブドウ糖だけ
脳は大量のエネルギーを消費する。大人の脳の大きさは体重の約2%しかないのに、エネルギー消費量は全体の18-20%である。とくに、生まれた直後の子供では、脳は身体全体のエネルギー消費量の50%を使う。脳においてこのエネルギー源となるのはブドウ糖だけであり、このブドウ糖は肝臓のグリコーゲンを分解して利用される。脳では1日当り120 g のブドウ糖を二酸化炭素と水に分解している。脳と同様に、ブドウ糖を唯一のエネルギー源とする他の器官には副腎髄質、赤血球、精巣などがあり、末梢器官を含めて静止時のブドウ糖の一日の必要量は最低160 g と考えられる。ところが、1回の食事でブドウ糖が肝臓にグリコーゲンとして貯蔵されるのは50-60 g である。従って、脳の必要とする1日当り120 g のブドウ糖を供給するには一日に三回の規則正しい食事が必要となる。
このように、ブドウ糖は脳のエネルギー源として必須のものであり、ブドウ糖の摂取不足による血中濃度の低下は脳の機能を低下させ、うつ、感情コントロール不能、集中力低下、不眠、いらいら、疲労などさまざまな症状を引き起こす。しかし、最近砂糖などの精製された炭水化物を一度に過剰摂取すると、逆に食原性の低血糖症(ハイポグリセミア)を引き起こすという説が提言されている。精製された砂糖は急速に体内に吸収されるため、一過性に急激な高血糖を引き起こす。これが膵臓、肝臓、副腎などに緊張を与え、まず膵臓が過剰反応して大量のインスリンを産出する。このインスリンの過剰分泌が異常な低血糖を引き起こし、脳や神経系から酸素を奪って一連の不快な低血糖症を引き起こす。そして、この低血糖を回復させるため副腎からアドレナリンが分泌され、肝臓を刺激してグリコーゲンを放出させる。このアドレナリンは“攻撃ホルモン”とも言われ、ヒトを怒りっぽく、攻撃的にさせる栄養生化学的要因の一つとして考えられている。
また、血糖の異常とうつ発症との関係をみると、血糖異常の改善はうつの気分を消失させ、逆にうつ気分の高揚は血糖を正常化させる。このうつにおける恐怖、不安、怒りなどの否定的感情の発現と血糖異常との因果関係には副腎からのアドレナリンやグルココルチコイドの分泌、肝臓からのグリコーゲンの放出などの関与ばかりでなく、ビタミンB1(チアミン)やマグネシウムの欠乏などの関与も考えられる。
以上の点を考慮すると、ブドウ糖の摂取は米飯など未精製の炭水化物からの必要量の摂取が最も理想的であると考えられる。
2.脳の機能を円滑にするビタミン
脳が活発に働くには、エネルギー源となるブドウ糖の他に、種々の脳機能を円滑に働かせる栄養素が必要である。ビタミンは脳機能の円滑化に極めて重要であり、種々の神経活動に関与し、糖を分解してエネルギーを生成する時に消費される。とくに、ビタミンB群は「神経ビタミン」と呼ばれ、ビタミンB1(チアミン)、ビタミンB2(リボフラビン)、ビタミンB3(ニコチン酸)などはエネルギー代謝に関与し、ビタミンB6(ピリドキサール)、パントテン酸、葉酸などは神経伝達物質の合成に関与する。一般に、ビタミンが欠乏すると、興奮し易く、疲れ易く、意気喪失し易いが、不安感から過敏となり、怒りっぽくなる。また、記憶や概念の抽象化が著しく減退する。ビタミン欠乏の脳への影響は高齢者に出現し易いが、短期間の欠乏は補給により改善する。以下、主なビタミンについて概説する。
チアミンはATPの存在下でリン酸化され、チアミンピロリン酸となり、ピルビン酸脱水素酵素やα−ケトグルタル酸脱水素酵素など触媒の役割をしている酵素の補酵素(活性部分)として働く。従って、ブドウ糖を完全に二酸化炭素と水に分解(酸化)してエネルギーをATPに変換している脳にとって、チアミンの欠乏はブドウ糖の酸化が阻害されるため、致命的となる。このビタミンは“道徳ビタミン”とも呼ばれ、これが不足すると協調性や道徳性が低下する。症状として、興奮性、うつ、攻撃性、非協力性、不幸感や頭痛、吐き気、嘔吐などが見られる。また、慢性アルコール中毒を併発すると、記憶障害、時間・空間に関する見当識の喪失、運動失調症などが見られる。食生活においては、糖分の取り過ぎ、アルコール、コーヒーの飲み過ぎ、タバコの吸い過ぎによるチアミンの過剰消費や生魚(チアミナーゼ多含の)の過食によるチアミンの破壊などもチアミン不足の要因となるので注意すべきである。チアミン類は消化管でも血液脳関門でも遊離のチアミンとして通過する。チアミンは一日につき1000カロリー当り0.5 mgの摂取が適当とされている。穀類の胚芽に多く含まれ、牛肉、豚肉、堅果、豆類などにも含まれる。
ニコチン酸は体内でニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド(NAD)とそのリン酸化物(NADPH)に変わり、解糖および細胞呼吸に関与するので、脳のエネルギー代謝には必須の栄養素である。脳内では肝臓のようにトリプトファンからのニコチン酸合成系は存在しないので、ニコチン酸そのものを摂取する必要がある。ニコチン酸が欠乏すると、痴呆、皮膚炎、下痢を三大徴候とする「ペラグラ」と呼ばれる病気にかかる。この病気はトリプトファンの欠乏さらには肝臓で合成されるべきNADの欠乏によるものである。中程度の欠乏では痴呆にまでは至らないが、うつ病、不安、情緒不安定、刺激に対する感受性の増大、短期記憶の消失などの症状が発現する。ニコチン酸は一日当り1000 カロリーにつき
6.6 mg 必要である。妊娠、授乳中はさらに多くのニコチン酸を摂取する必要がある。ニコチン酸は酵母に豊富であり、牛肉、堅果、豆類、穀類、魚肉などにも含まれる。コーヒー豆に含まれるトリゴネリンは焙煎によりニコチン酸に変わるため、カップ一杯のコーヒー飲用で1〜2 mg のニコチン酸を摂取することができ、エネルギー代謝を促進する効果がある。
ビタミンB6 はピリドキシン、ピリドキサル、ピリドキサミンとそれぞれのリン酸エステルの合計6種類が知られているが、このビタミンB6は神経伝達物質の合成には不可欠である。脳では、5−ヒドロキシトリプトファンからのセロトニン産生や、ドーパからのドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン産生に関与するL−アミノ酸脱炭酸酵素の補酵素として、またヒスタミン産生に関与するヒスチジン脱炭酸酵素、γ−アミノ酪酸(GABA)産生に関与するグルタミン酸脱炭酸酵素などの補酵素として働く。最近、メチオニンの代謝産物であるシスタチオニン、タウリンも神経伝達物質として注目されているが、シスタチオニン合成酵素シスタチオナーゼ、システィンスルフィン酸脱炭酸酵素などの関連酵素もB6酵素である。従って、ビタミンB6群の欠乏は脳機能に多大な影響を与え、いらいら、記憶力低下、痙攣など重篤な中枢神経障害を引き起こす。うつ病の原因として、セロトニンあるいはカテコールアミンの低下が考えられているが、これらはともにビタミンB6群の欠乏によって引き起こされることから、うつ病の真の病因はビタミンB6群の欠乏によるものかもしれない。事実、子供の時から慢性欠乏すると、知能発育不全を起こす。ビタミンB6群は血液脳関門を通過せず、脈絡叢から脳脊髄液へ分泌され、そこから脳細胞に取り込まれ、補酵素型に変わるようである。成人では一日当り2mg の摂取が適当とされるが、妊娠中には増量が必要である。ビタミンB6群は獣肉、魚肉に多く、野菜、果物類にはほとんど含まれない。料理中20〜30 %が失われるので注意を要する。
ビタミンB12(シアノコバラミン)はプロピオン酸の代謝に関係するメチルマロニルCoAムターゼと呼ばれる酵素やホモシステインがメチル化されてメチオニンに変換される反応に関与する酵素の補酵素として働く。ビタミンB12の欠乏による脳障害としては、脳波の異常、記憶喪失、刺激に対する過敏性、幻覚、錯乱などが顕著である。
葉酸はテトラヒドロ葉酸の形でメチル転移反応に関与する。うつ病、精神分裂病の患者に大量の葉酸を投与すると著しい改善をみたとする症例や葉酸の拮抗剤を常用していた母親から生まれた子供の脳に種々の奇形をみたとする症例があり、このビタミンも脳機能の維持に不可欠のものと思われる。葉酸は酵母、葉野菜には多いが、肉類、根菜、果物、乳製品には少ない。110〜120 °C、10 分間の加熱で50〜60 % が分解するので、調理時に注意が必要である。
ビオチンはアセチルCoA 脱炭酸酵素など炭酸固定に関与する酵素の補酵素として働く。ビオチンの欠乏は学習行動の障害、強度の倦怠感、催眠、軽度のうつ状態などの症状を引き起こすが、この物質は種々の野菜に含まれており、腸管内細菌によっても合成されるので、通常ではとくに補給に配慮する必要はない。
パントテン酸はCoA の構成物質の一部である。通常、脳中にはアセチルCoA(活性酢酸)の形で存在する。CoAは好気的解糖によりエネルギーを得る脳のような器官には必須の物質である。しかし、脳には比較的大量に存在するため、欠乏症状は起こりにくい。
ビタミンC(アスコルビン酸)はドーパミン−β−ヒドロキシラーゼの補酵素として働き、ノルアドレナリン、アドレナリンなどの神経伝達物質の合成を促進するが、この作用は特異的ではなく、他の還元性物質で代替される。ビタミンCは脳中に多量に存在するためか、その欠乏では倦怠感以外に脳症状は現れにくい。むしろ過剰摂取が問題である。一日当り2〜4 g の摂取で腎結石や痛風を反映する尿酸尿の出現をみたとする症例報告がある。
3.脳細胞の構造や神経伝達物質の原料となる栄養素
脳細胞の構造や神経伝達物質の原料となる栄養素として、必須アミノ酸、リン脂質、必須脂肪酸などがある。
九つの必須アミノ酸の中で、トリプトファンは神経伝達物質の一つであるセロトニンの原料となる。トリプトファンや5−ヒドロキシトリプトファンを摂取すると、脳内でセロトニンに変化し、食欲、性行動、睡眠、体温調節などに関与するセロトニン作動性ニューロンが興奮し、神経終末から細胞外にセロトニンを放出する。しかし、血液脳関門にはセロトニンを分解するアミン酸化酵素が存在するため、セロトニンを直接投与しても脳には入らない。5−ヒドロキシトリプトファンは血液脳関門を通過するが、種々の副作用を示すため、栄養学的にはトリプトファンの摂取が重要となる。トリプトファンの血液脳関門での通過は分枝鎖アミノ酸など他の6種のアミノ酸どうしの競合により妨害される。従って、トリプトファンの脳内への取りこみ効率を高めるには他の6種のアミノ酸の血中濃度を下げるため、高糖食に混ぜて摂取すると良い。インスリンの分泌により、アミノ酸競合が抑えられ、脳中セロトニンが増加する。実際に高トリプトファン食と高糖食で不眠症の治療や睡眠時間の延長に有効であることが認められている。逆に脳内のセロトニン量が不足すると、安定した睡眠の確保が妨げられることになるが、性欲や食欲は亢進する。トリプトファンだけを大量に含む食品は見出されていないが、かつお節、大豆、ほしのり、脱脂粉乳、しらす干し、卵、豚肉、小麦胚芽などに含まれる。
チロシンやアルギニンはそれぞれの合成を触媒する酵素が肝臓にしか存在しないので、脳にとっては必須アミノ酸である。とくに、チロシンは神経伝達物質であるドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンの三つのカテコールアミンの原料となり、「やる気の元」になる栄養素である。覚醒、満腹感の調節、睡眠、性欲に関与するノルアドレナリン作動性ニューロンや運動の開始、協調に関与するドーパミン作動性ニューロンなどの脳内のカテコールアミン作動性ニューロンはセロトニン作動性ニューロンと違って閉鎖的なシナプスを形成するため、チロシンを直接与えても負のフィードバック機構が作動し、カテコールアミン量は増加しにくい。多量のチロシンを脳へ入れるためには、トリプトファンの場合と同様にアミノ酸どうしの競合を避けるため、高糖食に混ぜて摂取すると良い。チロシンはタケノコに多含し、タケノコの皮の白い粉はチロシンの結晶である。また、タケノコの「えぐみ」はチロシンの代謝産物であるホモゲンチジン酸である。チロシンは健常人では現在のところトリプトファンほど脳への栄養効果は認められていないが、運動の協調性や運動量の拡大、ストレスへの抵抗性の増大など、また最近ではうつ病や運動失調、筋肉の硬直を主訴とするパーキンソン氏病に対する治療効果が認められ始めている。
ヒスチジンはヒスタミンの原料であり、睡眠や食欲の調節に関与するとされるヒスタミン作動性ニューロンに働く。また、グルタミン酸やアスパラギン酸はそれぞれグルタミン酸作動性ニューロンやアスパラギン酸作動性ニューロンに働き、両ニューロンとも刺激により興奮を誘発する。これらとは反対に、グルタミン酸が脱炭酸して生ずるGABA を含むニューロンやグリシン作動性ニューロンは抑制性である。いずれも非必須アミノ酸とその代謝産物であるため、ブドウ糖と窒素源さえあれば脳内で合成される。興奮性および抑制性のニューロンのバランスを食事で調節することは困難であるが、ここでも改めてブドウ糖の重要性が指摘される。タウリン、シスタチオンなども神経伝達物質として話題になっているが、システイン、シスチンなどの含硫アミノ酸も食事として摂る必要がある。
脳は乾燥重量にしてその約50%が脂質から成り、その成分にはリン脂質、糖脂質、コレステロールが多く含まれる。とくに、神経細胞のミエリン部分では約80%が脂質である。脂質は膜の構造や機能に重要な役割を演じているが、その中で、リン脂質は脳の栄養素として最も重要であり、膜の構成成分としての役割以外に、酵素の活性化や神経伝達物質の原料や合成、神経情報の細胞内への伝達などにおいて重要な役割を演じている。
ホスファチジルコリンは膜の構成成分であるが、神経伝達物質であるアセチルコリンの原料としても利用され、ボケ防止の効果があると期待されている。アセチルコリンは脳内でパントテン酸(ビタミンB5)を構成成分とするCoAとブドウ糖とからアセチルCoA(活性酢酸)が作られ、このアセチルCoAとコリンとからコリン・アセチルトランスフェラーゼにより合成される。コリンは容易に空腸から吸収されるが、大部分は腸内細菌によりベタインあるいはトリメチルアミンに分解され、悪臭を放つため、摂食に難がある。そこで、消化管あるいは腸内細菌で分解されず、体内でコリンに分解され、血中コリン濃度を高めるコリン含有物質としてホスファチジルコリンが選ばれている。血液脳関門にはコリン輸送体が存在し、能動的にコリンを脳に取り込む。事実、ホスファチジルコリンの経口摂取により脳内のアセチルコリンは増量する。アセチルコリンの欠乏は記憶障害(健忘)、昏睡、夢の減少、口渇などの症状を引き起こす。ホスファチジルコリンの最良の補給源はレシチンである。大豆、ピーナッツ、麦芽、卵黄、ウナギ、チーズ、レバー、小魚などに多く含まれるが、ホスファチジルコリンを30%以上含んでいる純度の高いものが良い。
また、ホスファチジルイノシトールも膜の構成成分であるが、同時に膜の情報伝達系において重要な役割を演じている。神経伝達物質がその受容体に結合すると、ホスファチジルイノシトール(PI)代謝回転が活性化する。すなわち、膜に付着するホスホリパーゼCが活性化され、ホスファチジルイノシトールの中間代謝産物である二リン酸化物がイノシトール三リン酸とジアシルグリセロールに分解され、前者は小胞体に作用して顆粒内に貯蔵されるカルシウムイオンを細胞質へ動員化する。そして同時に、後者はタンパク質リン酸化酵素であるキナーゼCを活性化する。この一連の代謝回転を円滑にすることが脳機能の活性化につながる。イノシトールは血液脳関門を通過しないので、脳に存在するイノシトールはホスファチジルイノシトールに由来するか、ブドウ糖から合成される。
脳のリン脂質に含まれる脂肪酸は脳内でブドウ糖から合成されるが、アラキドン酸やリノール酸、リノレン酸のような必須脂肪酸は体内で合成されないので、脳への補給を常に心掛けなければならない。必須脂肪酸の血液脳関門での通過の程度は明確でないが、脳内含量を高めるには、アミノ酸取り込みの場合と同様に、拮抗する脂肪酸の含量が少なく、必須脂肪酸の含量が高い食品(例えば、大豆)をとることが最良である。一般に、上記必須脂肪酸のような多価不飽和脂肪酸は動物油より植物油や魚油に多く含まれる。また、脳の発達に不可欠とされるドコサヘキサエン酸(DHA)は母乳や青魚油中に多く含まれるが、記憶・学習能力の向上に効果が認められている。
4.脳の情報伝達を左右する微量元素
カルシウムは記憶形成や感覚伝達など脳のあらゆる神経系の情報伝達に関与する。ニューロンの興奮によって神経終末から放出される神経伝達物質がその受容体と結合すると、細胞質内のカルシウムイオン濃度が上昇する。この細胞内カルシウムイオン濃度の上昇は神経系の情報伝達のトリガーとして必要条件である。そのメカニズムは細胞内カルシウムイオンプールからの放出以外に、細胞外からのカルシウムイオンの流入によるものであり、例を挙げれば、ノルアドレナリン作動性ニューロンやコリン作動性ニューロンにおけるそれぞれノルアドレナリンやアセチルコリンとα1−受容体、ムスカリン受容体との結合によるカルシウムチャンネルからの細胞外カルシウムの流入、記憶学習の基礎過程として海馬シナプス終末におけるN−メチル−D−アスパラギン酸受容体(NMDA受容体)やnon−NMDA受容体のイオン型グルタミン酸受容体と代謝型グルタミン酸受容体とに大別されるグルタミン酸作動性受容体ファミリー、ATP作動性受容体、電位依存性カルシウムチャンネルなどからの細胞外カルシウムの流入(図1)、嗅覚情報伝達系におけるcAMP依存性カルシウムチャンネルやIP3作動性カルシウムチャンネルを介する細胞外カルシウムの流入などがある。この細胞内カルシウムイオン濃度の上昇がプロテインキナーゼC(PKC)、Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼU(CaMキナーゼU)、チロシンリン酸化酵素(Fyn)などのタンパク質リン酸化酵素の活性化を高め、ある種のタンパク質のリン酸化を促進し、情報伝達に都合の良い立体配座を構築する。このように、情報伝達を媒介するカルシウムの補給は脳の活性化にとって極めて重要である。カルシウムの必要量は体重1 kg当たり10 mgとされているが、一日の所要量として800〜1000 mgが推奨される。カルシウム含量の多い食品として干しエビ、丸干しマイワシ、ヒジキ、脱脂粉乳、牛乳などがある。
亜鉛は記憶形成や感覚伝達など脳神経系の情報伝達に関与する神経調節因子(ニューロモヂュレーター)である。とくに記憶学習系では海馬シナプス終末における受容体やカルシウムチャンネルの調節因子である(図1)。すなわち、カルシウムイオン増大に関与するグルタミン酸やアスパラギン酸などの興奮性アミノ酸受容体(NMDA 受容体やnon-NMDA 受容体)、ATP作動性受容体、カリウムチャンネルを含む種々の電位作動性イオンチャンネルなどの活性化を調節する。そして、記憶・学習の基礎となる長期増強/長期抑制(LTP/LTD)の誘導、発現、持続には海馬亜鉛のホメオスタシスが重要である。また、亜鉛はPKCやCaM キナーゼUの活性を調節する。最近、PKC が亜鉛によって活性化されることがわかり、さらにこの酵素はCl ドメインに4 分子の亜鉛を配置(そのうちの2 つあるいは1 つはDNA-binding zinc finger 構造)した亜鉛金属酵素であることがわかってきた。脳内の亜鉛は酵素型(あるいは一般代謝型)貯蔵とイオン型貯蔵の二つの働きの異なる貯蔵形態で存在している。酵素型亜鉛は亜鉛金属酵素の構造に強固に取り込まれており、神経組織における特異的な役割は示さない。一方、イオン型亜鉛(Zn2+)はニューロンの分泌―情報伝達機能との関連が考えられる。脳内亜鉛の分布は、白質で最も低レベルを示し、歯状回や海馬で高レベルを示す。亜鉛は海馬ではCA1 やCA2 領域には少なく、門領域(CA4)およびCA3 セクター内に局在する苔状線維(mossy fiber)のシナプス終末に多含される。
亜鉛が欠乏すると、脳では前述のような脳神経情報伝達系の調節が不可能となり、学習記憶障害や嗅覚障害、味覚障害などの感覚障害を誘発する。亜鉛欠乏に伴って脳内微量金属は著しく変動する。とくに、海馬においてはアルミニウム、嗅覚系(嗅球、嗅上皮など)においてはカルシウムの著しい蓄積が観察される。従って、亜鉛欠乏による種々の脳障害の発症には有意に変動する他の微量元素による可能性も考慮しなければならない。また、亜鉛欠乏以外に、ある種の薬物暴露やアルツハイマー病においてみられる記憶学習障害には亜鉛が重要な関わりをもっている。亜鉛キレート剤、トリアルキル錫、エンケファリンなどの外来性薬物により海馬亜鉛が消失する。また、内因的には周産期の甲状腺機能低下が海馬苔状線維亜鉛の低下を引き起こす。記憶学習障害の代表的疾患であるアルツハイマー病患者の前頭葉ならびに側頭葉の皮質での亜鉛量は正常人と比べて差がないが、海馬亜鉛量は正常人に比べて低値を示す(ちなみに、アルツハイマー病患者の海馬のアルミニウムやシリコンは正常人より高値を示す)。亜鉛の一日必要量は10-15 mgとされている。亜鉛を多く含む食品には、高含量の順にカキ(魚介類)、イワシ煮干し、小麦胚芽、干しタラ、カワノリ、カニ、ゴマ、干しシイタケなどがある。
銅はノルアドレナリン生成に関与するカテコールアミン産生酵素の成分であり、その欠乏はカテコールアミン作動機構への影響ばかりでなく、チトクロームオキシダーゼ活性の阻害、リン脂質合成の抑制から中枢神経系の脱髄を引き起こし、運動失調など中枢神経障害を誘発する。銅欠乏の要因はメンケス(Menkes) 病などの遺伝性銅代謝異常以外は後天性の栄養学的欠乏であるが、長期経腸栄養あるいは長期経静脈栄養、生体の銅需要亢進、銅吸収不全症候群、吸収阻害物質摂取(多量の亜鉛、大量ビタミンC摂取など)、排泄増加(ネフローゼ症候群、ステロイド長期服用、銅キレート薬長期投与など)などによる医原性の欠乏が主であり、通常の食事摂取にて銅欠乏症にはならないとされる。銅の一日必要量は1.0-2.8 mgとされている。銅を多く含む食品には高含量の順にカキ(魚介類)、牛レバー、ほたるいか、ずわいがに、カシューナッツなどがある。
この他、微量元素の欠乏による脳障害として、カルシウム/マグネシウム欠乏による副甲状腺機能亢進とアルミニウムの脳内蓄積がある。また逆に、脳内の微量元素の過剰による疾患として、前述の海馬アルミニウムの過剰蓄積が見られるアルツハイマー病、脳中にカルシウム、アルミニウム、マンガンが高値を示し、とくに原線維変性した神経細胞にカルシウム、アルミニウムの沈着が見られる筋萎縮性側索硬化症(ALS )、脳中にマンガン多含の痴呆患者、銅の脳への過剰蓄積によるウイルソン(Wilson)病、マンガン中毒によるパーキンソン症候群、有機錫(とくにトリアルキル錫)暴露に見られる記憶学習障害や嗅覚障害の誘発と海馬亜鉛の消失や嗅覚系カルシウムの過剰蓄積などがあり、微量元素と脳機能とが密接に関連していることを示唆している。
ヒトの脳において、栄養不足による発症要因を特定することは、食生活が環境、衛生、様式、習慣などに左右されるため、栄養不足の影響のみを限定することが難しく、現在のところ難問山積である。また、食事摂取による「脳の栄養」を考える場合、避けて通れない問題はその栄養素が“血液脳関門”を通過するかどうかである。従って、脳内だけの代謝や機能から判断して必要な栄養素を羅列しても無意味である。ここに、「脳の栄養」の独立性があり、かつその栄養補給における難しさがある。以下、脳に必要な栄養素とその欠乏による脳への影響について概説する。
1.脳のエネルギー源はブドウ糖だけ
脳は大量のエネルギーを消費する。大人の脳の大きさは体重の約2%しかないのに、エネルギー消費量は全体の18-20%である。とくに、生まれた直後の子供では、脳は身体全体のエネルギー消費量の50%を使う。脳においてこのエネルギー源となるのはブドウ糖だけであり、このブドウ糖は肝臓のグリコーゲンを分解して利用される。脳では1日当り120 g のブドウ糖を二酸化炭素と水に分解している。脳と同様に、ブドウ糖を唯一のエネルギー源とする他の器官には副腎髄質、赤血球、精巣などがあり、末梢器官を含めて静止時のブドウ糖の一日の必要量は最低160 g と考えられる。ところが、1回の食事でブドウ糖が肝臓にグリコーゲンとして貯蔵されるのは50-60 g である。従って、脳の必要とする1日当り120 g のブドウ糖を供給するには一日に三回の規則正しい食事が必要となる。
このように、ブドウ糖は脳のエネルギー源として必須のものであり、ブドウ糖の摂取不足による血中濃度の低下は脳の機能を低下させ、うつ、感情コントロール不能、集中力低下、不眠、いらいら、疲労などさまざまな症状を引き起こす。しかし、最近砂糖などの精製された炭水化物を一度に過剰摂取すると、逆に食原性の低血糖症(ハイポグリセミア)を引き起こすという説が提言されている。精製された砂糖は急速に体内に吸収されるため、一過性に急激な高血糖を引き起こす。これが膵臓、肝臓、副腎などに緊張を与え、まず膵臓が過剰反応して大量のインスリンを産出する。このインスリンの過剰分泌が異常な低血糖を引き起こし、脳や神経系から酸素を奪って一連の不快な低血糖症を引き起こす。そして、この低血糖を回復させるため副腎からアドレナリンが分泌され、肝臓を刺激してグリコーゲンを放出させる。このアドレナリンは“攻撃ホルモン”とも言われ、ヒトを怒りっぽく、攻撃的にさせる栄養生化学的要因の一つとして考えられている。
また、血糖の異常とうつ発症との関係をみると、血糖異常の改善はうつの気分を消失させ、逆にうつ気分の高揚は血糖を正常化させる。このうつにおける恐怖、不安、怒りなどの否定的感情の発現と血糖異常との因果関係には副腎からのアドレナリンやグルココルチコイドの分泌、肝臓からのグリコーゲンの放出などの関与ばかりでなく、ビタミンB1(チアミン)やマグネシウムの欠乏などの関与も考えられる。
以上の点を考慮すると、ブドウ糖の摂取は米飯など未精製の炭水化物からの必要量の摂取が最も理想的であると考えられる。
2.脳の機能を円滑にするビタミン
脳が活発に働くには、エネルギー源となるブドウ糖の他に、種々の脳機能を円滑に働かせる栄養素が必要である。ビタミンは脳機能の円滑化に極めて重要であり、種々の神経活動に関与し、糖を分解してエネルギーを生成する時に消費される。とくに、ビタミンB群は「神経ビタミン」と呼ばれ、ビタミンB1(チアミン)、ビタミンB2(リボフラビン)、ビタミンB3(ニコチン酸)などはエネルギー代謝に関与し、ビタミンB6(ピリドキサール)、パントテン酸、葉酸などは神経伝達物質の合成に関与する。一般に、ビタミンが欠乏すると、興奮し易く、疲れ易く、意気喪失し易いが、不安感から過敏となり、怒りっぽくなる。また、記憶や概念の抽象化が著しく減退する。ビタミン欠乏の脳への影響は高齢者に出現し易いが、短期間の欠乏は補給により改善する。以下、主なビタミンについて概説する。
チアミンはATPの存在下でリン酸化され、チアミンピロリン酸となり、ピルビン酸脱水素酵素やα−ケトグルタル酸脱水素酵素など触媒の役割をしている酵素の補酵素(活性部分)として働く。従って、ブドウ糖を完全に二酸化炭素と水に分解(酸化)してエネルギーをATPに変換している脳にとって、チアミンの欠乏はブドウ糖の酸化が阻害されるため、致命的となる。このビタミンは“道徳ビタミン”とも呼ばれ、これが不足すると協調性や道徳性が低下する。症状として、興奮性、うつ、攻撃性、非協力性、不幸感や頭痛、吐き気、嘔吐などが見られる。また、慢性アルコール中毒を併発すると、記憶障害、時間・空間に関する見当識の喪失、運動失調症などが見られる。食生活においては、糖分の取り過ぎ、アルコール、コーヒーの飲み過ぎ、タバコの吸い過ぎによるチアミンの過剰消費や生魚(チアミナーゼ多含の)の過食によるチアミンの破壊などもチアミン不足の要因となるので注意すべきである。チアミン類は消化管でも血液脳関門でも遊離のチアミンとして通過する。チアミンは一日につき1000カロリー当り0.5 mgの摂取が適当とされている。穀類の胚芽に多く含まれ、牛肉、豚肉、堅果、豆類などにも含まれる。
ニコチン酸は体内でニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド(NAD)とそのリン酸化物(NADPH)に変わり、解糖および細胞呼吸に関与するので、脳のエネルギー代謝には必須の栄養素である。脳内では肝臓のようにトリプトファンからのニコチン酸合成系は存在しないので、ニコチン酸そのものを摂取する必要がある。ニコチン酸が欠乏すると、痴呆、皮膚炎、下痢を三大徴候とする「ペラグラ」と呼ばれる病気にかかる。この病気はトリプトファンの欠乏さらには肝臓で合成されるべきNADの欠乏によるものである。中程度の欠乏では痴呆にまでは至らないが、うつ病、不安、情緒不安定、刺激に対する感受性の増大、短期記憶の消失などの症状が発現する。ニコチン酸は一日当り1000 カロリーにつき
6.6 mg 必要である。妊娠、授乳中はさらに多くのニコチン酸を摂取する必要がある。ニコチン酸は酵母に豊富であり、牛肉、堅果、豆類、穀類、魚肉などにも含まれる。コーヒー豆に含まれるトリゴネリンは焙煎によりニコチン酸に変わるため、カップ一杯のコーヒー飲用で1〜2 mg のニコチン酸を摂取することができ、エネルギー代謝を促進する効果がある。
ビタミンB6 はピリドキシン、ピリドキサル、ピリドキサミンとそれぞれのリン酸エステルの合計6種類が知られているが、このビタミンB6は神経伝達物質の合成には不可欠である。脳では、5−ヒドロキシトリプトファンからのセロトニン産生や、ドーパからのドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン産生に関与するL−アミノ酸脱炭酸酵素の補酵素として、またヒスタミン産生に関与するヒスチジン脱炭酸酵素、γ−アミノ酪酸(GABA)産生に関与するグルタミン酸脱炭酸酵素などの補酵素として働く。最近、メチオニンの代謝産物であるシスタチオニン、タウリンも神経伝達物質として注目されているが、シスタチオニン合成酵素シスタチオナーゼ、システィンスルフィン酸脱炭酸酵素などの関連酵素もB6酵素である。従って、ビタミンB6群の欠乏は脳機能に多大な影響を与え、いらいら、記憶力低下、痙攣など重篤な中枢神経障害を引き起こす。うつ病の原因として、セロトニンあるいはカテコールアミンの低下が考えられているが、これらはともにビタミンB6群の欠乏によって引き起こされることから、うつ病の真の病因はビタミンB6群の欠乏によるものかもしれない。事実、子供の時から慢性欠乏すると、知能発育不全を起こす。ビタミンB6群は血液脳関門を通過せず、脈絡叢から脳脊髄液へ分泌され、そこから脳細胞に取り込まれ、補酵素型に変わるようである。成人では一日当り2mg の摂取が適当とされるが、妊娠中には増量が必要である。ビタミンB6群は獣肉、魚肉に多く、野菜、果物類にはほとんど含まれない。料理中20〜30 %が失われるので注意を要する。
ビタミンB12(シアノコバラミン)はプロピオン酸の代謝に関係するメチルマロニルCoAムターゼと呼ばれる酵素やホモシステインがメチル化されてメチオニンに変換される反応に関与する酵素の補酵素として働く。ビタミンB12の欠乏による脳障害としては、脳波の異常、記憶喪失、刺激に対する過敏性、幻覚、錯乱などが顕著である。
葉酸はテトラヒドロ葉酸の形でメチル転移反応に関与する。うつ病、精神分裂病の患者に大量の葉酸を投与すると著しい改善をみたとする症例や葉酸の拮抗剤を常用していた母親から生まれた子供の脳に種々の奇形をみたとする症例があり、このビタミンも脳機能の維持に不可欠のものと思われる。葉酸は酵母、葉野菜には多いが、肉類、根菜、果物、乳製品には少ない。110〜120 °C、10 分間の加熱で50〜60 % が分解するので、調理時に注意が必要である。
ビオチンはアセチルCoA 脱炭酸酵素など炭酸固定に関与する酵素の補酵素として働く。ビオチンの欠乏は学習行動の障害、強度の倦怠感、催眠、軽度のうつ状態などの症状を引き起こすが、この物質は種々の野菜に含まれており、腸管内細菌によっても合成されるので、通常ではとくに補給に配慮する必要はない。
パントテン酸はCoA の構成物質の一部である。通常、脳中にはアセチルCoA(活性酢酸)の形で存在する。CoAは好気的解糖によりエネルギーを得る脳のような器官には必須の物質である。しかし、脳には比較的大量に存在するため、欠乏症状は起こりにくい。
ビタミンC(アスコルビン酸)はドーパミン−β−ヒドロキシラーゼの補酵素として働き、ノルアドレナリン、アドレナリンなどの神経伝達物質の合成を促進するが、この作用は特異的ではなく、他の還元性物質で代替される。ビタミンCは脳中に多量に存在するためか、その欠乏では倦怠感以外に脳症状は現れにくい。むしろ過剰摂取が問題である。一日当り2〜4 g の摂取で腎結石や痛風を反映する尿酸尿の出現をみたとする症例報告がある。
3.脳細胞の構造や神経伝達物質の原料となる栄養素
脳細胞の構造や神経伝達物質の原料となる栄養素として、必須アミノ酸、リン脂質、必須脂肪酸などがある。
九つの必須アミノ酸の中で、トリプトファンは神経伝達物質の一つであるセロトニンの原料となる。トリプトファンや5−ヒドロキシトリプトファンを摂取すると、脳内でセロトニンに変化し、食欲、性行動、睡眠、体温調節などに関与するセロトニン作動性ニューロンが興奮し、神経終末から細胞外にセロトニンを放出する。しかし、血液脳関門にはセロトニンを分解するアミン酸化酵素が存在するため、セロトニンを直接投与しても脳には入らない。5−ヒドロキシトリプトファンは血液脳関門を通過するが、種々の副作用を示すため、栄養学的にはトリプトファンの摂取が重要となる。トリプトファンの血液脳関門での通過は分枝鎖アミノ酸など他の6種のアミノ酸どうしの競合により妨害される。従って、トリプトファンの脳内への取りこみ効率を高めるには他の6種のアミノ酸の血中濃度を下げるため、高糖食に混ぜて摂取すると良い。インスリンの分泌により、アミノ酸競合が抑えられ、脳中セロトニンが増加する。実際に高トリプトファン食と高糖食で不眠症の治療や睡眠時間の延長に有効であることが認められている。逆に脳内のセロトニン量が不足すると、安定した睡眠の確保が妨げられることになるが、性欲や食欲は亢進する。トリプトファンだけを大量に含む食品は見出されていないが、かつお節、大豆、ほしのり、脱脂粉乳、しらす干し、卵、豚肉、小麦胚芽などに含まれる。
チロシンやアルギニンはそれぞれの合成を触媒する酵素が肝臓にしか存在しないので、脳にとっては必須アミノ酸である。とくに、チロシンは神経伝達物質であるドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンの三つのカテコールアミンの原料となり、「やる気の元」になる栄養素である。覚醒、満腹感の調節、睡眠、性欲に関与するノルアドレナリン作動性ニューロンや運動の開始、協調に関与するドーパミン作動性ニューロンなどの脳内のカテコールアミン作動性ニューロンはセロトニン作動性ニューロンと違って閉鎖的なシナプスを形成するため、チロシンを直接与えても負のフィードバック機構が作動し、カテコールアミン量は増加しにくい。多量のチロシンを脳へ入れるためには、トリプトファンの場合と同様にアミノ酸どうしの競合を避けるため、高糖食に混ぜて摂取すると良い。チロシンはタケノコに多含し、タケノコの皮の白い粉はチロシンの結晶である。また、タケノコの「えぐみ」はチロシンの代謝産物であるホモゲンチジン酸である。チロシンは健常人では現在のところトリプトファンほど脳への栄養効果は認められていないが、運動の協調性や運動量の拡大、ストレスへの抵抗性の増大など、また最近ではうつ病や運動失調、筋肉の硬直を主訴とするパーキンソン氏病に対する治療効果が認められ始めている。
ヒスチジンはヒスタミンの原料であり、睡眠や食欲の調節に関与するとされるヒスタミン作動性ニューロンに働く。また、グルタミン酸やアスパラギン酸はそれぞれグルタミン酸作動性ニューロンやアスパラギン酸作動性ニューロンに働き、両ニューロンとも刺激により興奮を誘発する。これらとは反対に、グルタミン酸が脱炭酸して生ずるGABA を含むニューロンやグリシン作動性ニューロンは抑制性である。いずれも非必須アミノ酸とその代謝産物であるため、ブドウ糖と窒素源さえあれば脳内で合成される。興奮性および抑制性のニューロンのバランスを食事で調節することは困難であるが、ここでも改めてブドウ糖の重要性が指摘される。タウリン、シスタチオンなども神経伝達物質として話題になっているが、システイン、シスチンなどの含硫アミノ酸も食事として摂る必要がある。
脳は乾燥重量にしてその約50%が脂質から成り、その成分にはリン脂質、糖脂質、コレステロールが多く含まれる。とくに、神経細胞のミエリン部分では約80%が脂質である。脂質は膜の構造や機能に重要な役割を演じているが、その中で、リン脂質は脳の栄養素として最も重要であり、膜の構成成分としての役割以外に、酵素の活性化や神経伝達物質の原料や合成、神経情報の細胞内への伝達などにおいて重要な役割を演じている。
ホスファチジルコリンは膜の構成成分であるが、神経伝達物質であるアセチルコリンの原料としても利用され、ボケ防止の効果があると期待されている。アセチルコリンは脳内でパントテン酸(ビタミンB5)を構成成分とするCoAとブドウ糖とからアセチルCoA(活性酢酸)が作られ、このアセチルCoAとコリンとからコリン・アセチルトランスフェラーゼにより合成される。コリンは容易に空腸から吸収されるが、大部分は腸内細菌によりベタインあるいはトリメチルアミンに分解され、悪臭を放つため、摂食に難がある。そこで、消化管あるいは腸内細菌で分解されず、体内でコリンに分解され、血中コリン濃度を高めるコリン含有物質としてホスファチジルコリンが選ばれている。血液脳関門にはコリン輸送体が存在し、能動的にコリンを脳に取り込む。事実、ホスファチジルコリンの経口摂取により脳内のアセチルコリンは増量する。アセチルコリンの欠乏は記憶障害(健忘)、昏睡、夢の減少、口渇などの症状を引き起こす。ホスファチジルコリンの最良の補給源はレシチンである。大豆、ピーナッツ、麦芽、卵黄、ウナギ、チーズ、レバー、小魚などに多く含まれるが、ホスファチジルコリンを30%以上含んでいる純度の高いものが良い。
また、ホスファチジルイノシトールも膜の構成成分であるが、同時に膜の情報伝達系において重要な役割を演じている。神経伝達物質がその受容体に結合すると、ホスファチジルイノシトール(PI)代謝回転が活性化する。すなわち、膜に付着するホスホリパーゼCが活性化され、ホスファチジルイノシトールの中間代謝産物である二リン酸化物がイノシトール三リン酸とジアシルグリセロールに分解され、前者は小胞体に作用して顆粒内に貯蔵されるカルシウムイオンを細胞質へ動員化する。そして同時に、後者はタンパク質リン酸化酵素であるキナーゼCを活性化する。この一連の代謝回転を円滑にすることが脳機能の活性化につながる。イノシトールは血液脳関門を通過しないので、脳に存在するイノシトールはホスファチジルイノシトールに由来するか、ブドウ糖から合成される。
脳のリン脂質に含まれる脂肪酸は脳内でブドウ糖から合成されるが、アラキドン酸やリノール酸、リノレン酸のような必須脂肪酸は体内で合成されないので、脳への補給を常に心掛けなければならない。必須脂肪酸の血液脳関門での通過の程度は明確でないが、脳内含量を高めるには、アミノ酸取り込みの場合と同様に、拮抗する脂肪酸の含量が少なく、必須脂肪酸の含量が高い食品(例えば、大豆)をとることが最良である。一般に、上記必須脂肪酸のような多価不飽和脂肪酸は動物油より植物油や魚油に多く含まれる。また、脳の発達に不可欠とされるドコサヘキサエン酸(DHA)は母乳や青魚油中に多く含まれるが、記憶・学習能力の向上に効果が認められている。
4.脳の情報伝達を左右する微量元素
カルシウムは記憶形成や感覚伝達など脳のあらゆる神経系の情報伝達に関与する。ニューロンの興奮によって神経終末から放出される神経伝達物質がその受容体と結合すると、細胞質内のカルシウムイオン濃度が上昇する。この細胞内カルシウムイオン濃度の上昇は神経系の情報伝達のトリガーとして必要条件である。そのメカニズムは細胞内カルシウムイオンプールからの放出以外に、細胞外からのカルシウムイオンの流入によるものであり、例を挙げれば、ノルアドレナリン作動性ニューロンやコリン作動性ニューロンにおけるそれぞれノルアドレナリンやアセチルコリンとα1−受容体、ムスカリン受容体との結合によるカルシウムチャンネルからの細胞外カルシウムの流入、記憶学習の基礎過程として海馬シナプス終末におけるN−メチル−D−アスパラギン酸受容体(NMDA受容体)やnon−NMDA受容体のイオン型グルタミン酸受容体と代謝型グルタミン酸受容体とに大別されるグルタミン酸作動性受容体ファミリー、ATP作動性受容体、電位依存性カルシウムチャンネルなどからの細胞外カルシウムの流入(図1)、嗅覚情報伝達系におけるcAMP依存性カルシウムチャンネルやIP3作動性カルシウムチャンネルを介する細胞外カルシウムの流入などがある。この細胞内カルシウムイオン濃度の上昇がプロテインキナーゼC(PKC)、Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼU(CaMキナーゼU)、チロシンリン酸化酵素(Fyn)などのタンパク質リン酸化酵素の活性化を高め、ある種のタンパク質のリン酸化を促進し、情報伝達に都合の良い立体配座を構築する。このように、情報伝達を媒介するカルシウムの補給は脳の活性化にとって極めて重要である。カルシウムの必要量は体重1 kg当たり10 mgとされているが、一日の所要量として800〜1000 mgが推奨される。カルシウム含量の多い食品として干しエビ、丸干しマイワシ、ヒジキ、脱脂粉乳、牛乳などがある。
亜鉛は記憶形成や感覚伝達など脳神経系の情報伝達に関与する神経調節因子(ニューロモヂュレーター)である。とくに記憶学習系では海馬シナプス終末における受容体やカルシウムチャンネルの調節因子である(図1)。すなわち、カルシウムイオン増大に関与するグルタミン酸やアスパラギン酸などの興奮性アミノ酸受容体(NMDA 受容体やnon-NMDA 受容体)、ATP作動性受容体、カリウムチャンネルを含む種々の電位作動性イオンチャンネルなどの活性化を調節する。そして、記憶・学習の基礎となる長期増強/長期抑制(LTP/LTD)の誘導、発現、持続には海馬亜鉛のホメオスタシスが重要である。また、亜鉛はPKCやCaM キナーゼUの活性を調節する。最近、PKC が亜鉛によって活性化されることがわかり、さらにこの酵素はCl ドメインに4 分子の亜鉛を配置(そのうちの2 つあるいは1 つはDNA-binding zinc finger 構造)した亜鉛金属酵素であることがわかってきた。脳内の亜鉛は酵素型(あるいは一般代謝型)貯蔵とイオン型貯蔵の二つの働きの異なる貯蔵形態で存在している。酵素型亜鉛は亜鉛金属酵素の構造に強固に取り込まれており、神経組織における特異的な役割は示さない。一方、イオン型亜鉛(Zn2+)はニューロンの分泌―情報伝達機能との関連が考えられる。脳内亜鉛の分布は、白質で最も低レベルを示し、歯状回や海馬で高レベルを示す。亜鉛は海馬ではCA1 やCA2 領域には少なく、門領域(CA4)およびCA3 セクター内に局在する苔状線維(mossy fiber)のシナプス終末に多含される。
亜鉛が欠乏すると、脳では前述のような脳神経情報伝達系の調節が不可能となり、学習記憶障害や嗅覚障害、味覚障害などの感覚障害を誘発する。亜鉛欠乏に伴って脳内微量金属は著しく変動する。とくに、海馬においてはアルミニウム、嗅覚系(嗅球、嗅上皮など)においてはカルシウムの著しい蓄積が観察される。従って、亜鉛欠乏による種々の脳障害の発症には有意に変動する他の微量元素による可能性も考慮しなければならない。また、亜鉛欠乏以外に、ある種の薬物暴露やアルツハイマー病においてみられる記憶学習障害には亜鉛が重要な関わりをもっている。亜鉛キレート剤、トリアルキル錫、エンケファリンなどの外来性薬物により海馬亜鉛が消失する。また、内因的には周産期の甲状腺機能低下が海馬苔状線維亜鉛の低下を引き起こす。記憶学習障害の代表的疾患であるアルツハイマー病患者の前頭葉ならびに側頭葉の皮質での亜鉛量は正常人と比べて差がないが、海馬亜鉛量は正常人に比べて低値を示す(ちなみに、アルツハイマー病患者の海馬のアルミニウムやシリコンは正常人より高値を示す)。亜鉛の一日必要量は10-15 mgとされている。亜鉛を多く含む食品には、高含量の順にカキ(魚介類)、イワシ煮干し、小麦胚芽、干しタラ、カワノリ、カニ、ゴマ、干しシイタケなどがある。
銅はノルアドレナリン生成に関与するカテコールアミン産生酵素の成分であり、その欠乏はカテコールアミン作動機構への影響ばかりでなく、チトクロームオキシダーゼ活性の阻害、リン脂質合成の抑制から中枢神経系の脱髄を引き起こし、運動失調など中枢神経障害を誘発する。銅欠乏の要因はメンケス(Menkes) 病などの遺伝性銅代謝異常以外は後天性の栄養学的欠乏であるが、長期経腸栄養あるいは長期経静脈栄養、生体の銅需要亢進、銅吸収不全症候群、吸収阻害物質摂取(多量の亜鉛、大量ビタミンC摂取など)、排泄増加(ネフローゼ症候群、ステロイド長期服用、銅キレート薬長期投与など)などによる医原性の欠乏が主であり、通常の食事摂取にて銅欠乏症にはならないとされる。銅の一日必要量は1.0-2.8 mgとされている。銅を多く含む食品には高含量の順にカキ(魚介類)、牛レバー、ほたるいか、ずわいがに、カシューナッツなどがある。
この他、微量元素の欠乏による脳障害として、カルシウム/マグネシウム欠乏による副甲状腺機能亢進とアルミニウムの脳内蓄積がある。また逆に、脳内の微量元素の過剰による疾患として、前述の海馬アルミニウムの過剰蓄積が見られるアルツハイマー病、脳中にカルシウム、アルミニウム、マンガンが高値を示し、とくに原線維変性した神経細胞にカルシウム、アルミニウムの沈着が見られる筋萎縮性側索硬化症(ALS )、脳中にマンガン多含の痴呆患者、銅の脳への過剰蓄積によるウイルソン(Wilson)病、マンガン中毒によるパーキンソン症候群、有機錫(とくにトリアルキル錫)暴露に見られる記憶学習障害や嗅覚障害の誘発と海馬亜鉛の消失や嗅覚系カルシウムの過剰蓄積などがあり、微量元素と脳機能とが密接に関連していることを示唆している。